Weekly Spot Back Number
April 2000


31  「テーマ・パーク」について 4月 3日版(第2週掲載)
32  背筋の寒くなる話 4月10日版(第3週掲載)
33  国歌と国旗 4月17日版(第4週掲載)
34  曖昧日本語罷り通る 4月24日版(第5週掲載)



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 2000年4月第2週掲載

●「テーマパーク」について
Teddy   「安城は日本のデンマーク」とは、たしか子供の頃社会科の時間に習った。その安城に、近年「デンパーク」なるいわゆるテーマパークが出来、それが最近充実した、という報道を目にしたので、つい先日、ちょっと空き時間が出来たのを幸い、車を走らせてみた。

 広々とした牧場でも展開しているのか、と思ったのはこちらの早トチリで、言ってみればかなり広いスペースに、チマチマした花壇が散らばっている「庭」であった。会場敷地の中央に、「不思議の森」と名付けられた人工の丘があって、まあそこそこ緑があって一応の雰囲気はある。ただ解せなかったのは、樹幹に鏡面のオブジェが配置してあり、そこここに作り物の鹿などが佇立していることで(それが「不思議」なんかしらん)、もっと違和感を感じたのは、そぞろ歩きをする小径に沿ってスピーカーを取り付けた柱が立ち、軽いポップ調の音楽を流し続けていることだった。せっかく、小鳥の声でも「想像」したい「森の散策」の気分に、水を差される思いだった。

 ちょっと話がそれるが、この「押しつけの音楽」にはしばしば悩まされる。その昔(30年以上も前の話だが)まだ幼かった娘を連れて、静岡の「登呂遺跡」へ行ったときのこと。だだっ広い田園風景の中に点在する先史住民の生活の跡を眺めてタイムスリップしようとしている我々の耳に響いてくるのは、近くの土産物屋の軒先からガンガン怒鳴り立てる歌謡曲で、まったく辟易した苦い思い出がある。
 ついでにもっとそれるが――大体、音楽というのは、喰い物同様個人の嗜好性が極めて顕著なもので、趣味でない音楽をムリヤリ聴かされるのは、耐え難い試練だ。だから所謂「バックグラウンドミュージック」を流したければ、極めて注意しなければ聞き取れないほど低音量で、しかも何も思考する必要、又は余裕のない空間だけに願いたいものだ。BGMが変に普及した結果、無神経に音楽を聞き流す習慣がいつの間にか染みついてしまって、音楽大学でも、講義の間に資料の音源を流すと、条件反射的に学生の私語が広がる有様だ。

 本筋に戻ろう。
 「デンパーク」で一番目に付いたのは、「食」のエリアで、「花の大温室」の大半のスペースを物品販売コーナーと共に占め、その他多数の「レストラン」「喫茶店」そして自動販売機がヤケに目に付いた。最後に新設の「マーガレットハウス」に「見渡す限りの花園」を期待して行ったが、何とそれがファミリーレストランの名前!でがっかり。ついでに、そのエリアに設置された呼び物の「デンマーク風車の実物」の羽根は、厳重にロープで地面に固定してあった……。
 まあ、新しいと云うこともあって全てが小綺麗ではあるが、肝心の「テーマ」とヴィジョンが見えて来ないのが、大変残念。子供の遊園地的要素はほとんどないのは評価できるが、もう一歩踏み込んで、「花」か「農」か「酪農」か、何かに絞り込んだ方がいいのではないかと考えた。とりあえずは「見た!」部類の収穫であった。

 さて、翻って「愛知万博」。依然として壮大なテーマの本当の中身が、全然見えない。こういうことをするからこれだけのトコロが必要だ、とはならないのが「ても不思議」で、相も変わらずお役所の「入れ物を作ってから、中身を考える」方式で、時間だけが過ぎて行く。中部新空港の漁業補償問題にしても、それだけ莫大な海の幸を獲得できる場所を、むざむざつぶすだけの必要性が本当にあるのだろうか。この際あっさり諦めて、子々孫々にいたるまでの多数の漁民の平和な生活を確保した方が、よほど「自然の叡知」への讃歌になろうというものである。

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 2000年4月第3週掲載

●背筋の寒くなる話
Teddy
 この一週間も、ゾッとするような話がいくつかあった。
 どうにも理解に苦しむような感覚を持つ人間が、急増している感じで、こちらのアタマもおかしくなりそうだ。
 中学生が5000万円を恐喝した……「0」が無いのならまだしも、第三者から見れば、取りも取ったり、出しも出したり、正常の(つもりの)感覚ではどうやってもピンと来ない額である。
それだけの額が自由になれば、いま自分に何が出来るか――考えてみる……小ホールの企画費に充てれば、まず五年間は安心して素敵なコンサート・プランを立てられる……。
脅し取った彼等は、それを何に費消したか?

 「生きながらガソリンをかけて焼いた」。この恐るべき新聞の見出しを見たときは、まさに心臓の凍る思いがした。指示した人間、唯々諾々と実行した人間……とても自分と「同じ生き物」とは思えないし、思いたくもない。
 何ら必然性のない行為(しかも、しばしば反社会的行為となる)を無造作にやってのける風潮は、しかし社会のいたるところで見ることが出来る現今、これも(この事件も)単にその延長線上にあるにすぎないのだろうか。まさに背筋の寒くなる話であり、思わずあたりを窺ってしまう気分だ。

 そして別の意味で「背筋の寒くなる話」――そう、首相不在の空白の一日。日本の政治の中枢を司る連中の、超時代錯誤の感覚。戦国の世ではあるまいし、一国の宰相が倒れたという重大事を、誰に対して、何故隠さねばならなかったのか、そこが大問題である。
 「危機管理体制」の問題ではなくて、最も明確になっていなければならない「事実」を小手先で隠蔽しようとするその姑息な考えが支配していること自体が、日本という国にとって背筋に寒くなることなのだ。

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 2000年4月第4週掲載

Teddy●国歌と国旗

 卒業、入学シーズンが一段落して、このところ喧しかった「日の丸、君が代」問題が一服している。
 国歌・国旗、社歌・社旗、校歌・校旗……およそ団体には、それを象徴する「歌」「旗」が存在するのが普通だ。
 校歌について、苦い思い出がある。
 自分の通ったのは、当時学制改革直後の、旧県立中学と高等女学校が合併して出来た「男女共学の新制高校」で、校舎は旧女学校のものであった。そして高校時代最後で最大の行事=修学旅行でのこと――訪問地の一つを「観光バス」で巡っている途次であった。バスガイド嬢が、車内の雰囲気を盛り上げるための当たり前の手段として、「さぁ、それでは皆さんの学校の校歌を、大きな声で歌いましょう!」と言ってくれた ――のに、そこには何とも気まずい空気が流れたのである。そう、なんと、まだ我々の学校には「校歌」が無かったのだ!
 そのまま卒業し、情けないことにいま母校の校歌が何であるかは知らず終いである。
 進学した(新制)大学の教養部(1−2年)では、旧制高校時代のバンカラの気風が多分に残っていて、ことある毎、こぞって往年の「寮歌」に蛮声を張り上げたものである。そしてやがて学生の手によって「応援歌」が作られ、「校歌」の役割を果たしていた。
 日本の国歌は、その日本風の音階に基づく荘重な調べが、時と場合によって大変効果的であるにもかかわらず、その歌詞の故に(どこか徳川の豊臣つぶしに利用された鐘銘の場合に似ている)国旗とともに「悪用」された時期があって、とかく敬遠されがちである。
 国旗にしても、数々催される国際的な会議、スポーツ等の行事に、その参加国を象徴してはためく国旗の中で、「日の丸」の単純明快なデザインはなかなか悪くないと思うだけに、残念である。
 いずれにせよ、国際的見地から言っても、国家は自分を象徴する国旗と国歌を持たねばなるまい。しかし政府が法律で決めてみても、国民が自分の国を愛し、誇りを持って、掲げる旗であり歌う歌でなければ意味がない。となれば、いま政府がなすべき最も重要なことは、法律で愛国心を強要することではなく、真実「我が国」と思えるような、相互に信頼感の満ちた国家体制を築きあげ、誇りと感慨を以て国歌・国旗をいただく気持ちを国民に芽生えさせるべく、真摯に「政治」に取り組むことである。

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 2000年4月第5週掲載

曖昧日本語罷り通る
Teddy  昨年10月のこの欄で、主に放送業界での日本語発音の混乱ぶりを嘆いた。それは、その後一部何故か旧に復した様に思える部分もあるが(例えば「背景」と「拝啓」)、全般に外国の固有名詞を含めて、もはや手の着けようのない状態になっている、といえよう。
 それはひとまず措いて、日本語特有の「言語明瞭、意味不明」の典型の一つとして気になるのは、特に最近しばしば用いられる「遺憾」という言葉である。警察を始め各種公的機関の不祥事に絡んで、様々な人が口にし、果ては石原知事までも使った「遺憾であります」。この「遺憾」なる単語の本来の意味とその使われ方が、場合によって本当に適切であるのかどうか。勿論国語学者でもない輩がとやこう言ったとて仕方がないとは思うが、どうにも腑に落ちないのである。
 因みに「広辞苑」を繙くと、
 遺憾(いかん)
思い通りに行かず心残りなこと。残念。気の毒。
とある。まあ言葉というものは、必ずしも辞書にある意味としてしか使われるものでもないからいいのだが、主観的立場で「甚だ遺憾に思う」というよりは、「誰々が遺憾の意を表した」という様な客観的な用法が、やはり良く意味が通ると思う。前者の使われ方の場合、「遺憾」だと言っている者が、ある時は「加害者」側(つまり良くないことをした方)であり、またある時は「被害者」側(例えば領空侵犯された方)であるからなおのこと訳けが判らない。そして「加害者」側の場合、それは如何にも傲慢かつそらぞらしく響いて、真剣に謝罪・反省しているとは聞こえてこない。何故もっと素直に「誤りであった」「申し訳なかった」と、明確に言えないものか。主観的なのか客観的なのか、大変曖昧に、且つ(たいていの場合体面を保持するための弁明)便利に使われ過ぎている。

 ついでに思い出すのだが、特にニュース放送を聞いていて大変耳障りな言葉、「……認識を示しました」と「……見解を示しました」がある。ためしにNHKのニュースの時間に「シメシマシタ」がどれくらい使われるか、気をつけてみていただきたい。これは、ニュースとして、話者が耳にした事実を第三者に伝えるのだから「……と語りました」「……と述べました」と表現すればいいので、ことさら「示しました」と、あたかも「示した者」と「示された者」がいて自分はその埒外にあるような言い回しをする理由はないと思うがどうであろうか。それに、この「示しました」という言葉の語感には、ある種の傲慢さか、或いは、本心を披瀝せず相手の出方を窺ってみる、なにか駆け引きめいたものが強く感じられてしまう。
 それに、最も引っかかるのは「……認識を示しました」という内容が、大半の場合そう言った本人の「意見」や「主張」であるのだ。「認識」と言う言葉の意味を再び「広辞苑」に拠ってみると、
 認識(にんしき)
知識とほぼ同じ意味。
知識が主として知り得た成果を指すのに対して、認識は知る作用及び成果の両者を指すことが多い。
とある。つまり、他人の考え・行動や事象をどう捉えているかが「自分の認識」であって、認識した事実に対しての意見や主張を述べているのに、「認識を示しました」はないであろう。
 ここでも、先の「遺憾」同様、堂々と正面からものを言わず、曖昧模糊とした表現で、本当のところはちっとも理解させないまま、何となく全てを「マアルクオサメテ」行こうとする、或いはそうすることを容認する、やりきれない体質を露呈しているように思えてしまうのだ。


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