プログラム・ノート
スクリャービン(1872−1915):ソナタ 第9番 作品68「黒ミサ」
1楽章形式。1913年作曲。
少し前になるが、「リング」という映画が流行っていた。これは、一見何の変哲もないビデオから映し出される呪いの映像が、次々とそれを見た人を殺していくという、いわゆるオカルトものだが、ここで何が恐いかと言えば、ビデオという今やすっかり私たちの日常の一部なっているモノが呪いという、「あちら側の世界」―つまり、理性や常識では説明のつかない世界の入口になっていた点である。
「黒ミサ」を初めて聴いた時、やはりそうした、理性や教養、あるいは他の音楽を聴く時のような音楽性では理解することのできない原始の暗黒に迷い込んでしまったように感じたものだった。世紀末のロシアで、“感性を通じて宇宙と一体化する”という神秘主義に傾倒していたスクリャービンの感覚は、先の見えない現代に生きる私たちが、超自然的な力に関心を寄せるのとどこか似ているのではなかろうか?
冒頭、“伝説的に”と指示された第1主題は、あたかも捉えどころのない宇宙空間を思わせ、“神秘的に呟く”モチーフは悪魔的な力を暗示する。対照的に、第2主題は生命の誕生の息吹を感じさせる光と気だるさに満ち、“次第に愛撫と毒気を増す甘美さをもって”頂点に達すると、カオスとエクスタシーの世界が繰り広げられるのだが、最後はまるで何事も無かったように宇宙の闇にぽっかりと漂っているところで 曲は終わる。
ラフマニノフ(1873-1943):ソナタ 第2番 変ロ短調 作品36(1931年版)
3楽章形式(だが切れ目なく演奏される)。1913年初稿、1931年改訂稿。
嵐のように始まる第1楽章と、叙情的な第2楽章、リズミカルな第3楽章からなるこのソナタには2つの版があり、1931年版の方が整理された印象である。そして、もともと「黒ミサ」と同じ1913年に初稿が書かれたこの曲全体に統一感を与えているのは、やはり下降する半音階のモチーフであり、一部酷似した個所もある。これが、同じ時代が生んだ単なる偶然なのか、ピアニストとしてもライバルであった2人のこと、興味深い。
若い頃ショパンに傾倒していたスクリャービンを繊細で詩的とするなら、ラフマニノフは「これぞロシア!」という濃厚なロマンティシズムとロシアの自然を連想させるスケールの大きさが身上だが、残念なことに、しばしば単なるムード音楽的解釈をされてきたように思う。というのも、ロシア革命を契機に国外に移住したロシア人は多く、ラフマニノフ自身もアメリカに渡った訳だが、どうも彼の音楽の甘美な面だけが大きくクローズアップされ、おりしもハリウッド映画やミュージカル隆盛の時代でもあり、多くの作曲家がこぞって彼のスタイルを真似たようなのである。実際、中学時代から旧いハリウッド映画にどっぷりつかって育った私には、ラフマニノフを大真面目で弾くなど、到底恥ずかしくてできないことであった。貴族出身の彼が、自分の生まれ育った世界の崩壊を目の当たりにし、祖国を去らなければならなかった心境に思いを巡らせることが出来るようになったのは、ヨーロッパ留学中に知り合った多くのロシア人たちのお陰かもしれない。
ショパン(1810-1849):24の前奏曲 作品28
1835年から1839年にかけて作曲された、まさに“ピアノの詩人”にふさわしい完成度の高い作品。全て異なる調性による30秒から5分程度の短い曲からなり、生と死、そしてその狭間でショパンが経験した様々な心理状態について書かれた珠玉の詩集のようである。生命の喜びに溢れた1曲目から弔いの鐘が響く終曲まで、ひとつの無駄もない研ぎ澄まされた美しさもさることながら、その起伏の烈しさは息を呑むばかりである。ショパン自身はバッハの「平均率」(プレリュードとフーガ)からヒントを得たが、その後この作品にインスピレーションを得て、スクリャービンやラフマニノフを始め、ドビュッシーやショスタコーヴィチ等「前奏曲」(プレリュード)というタイトルをもつ小品集を書いた作曲家は多い。
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