【ルンデの会2000年10月例会】

スタジオ・ルンデ開館満20年記念例会シリーズ

三村奈々恵 マリンバ・リサイタル

三村
【photo by Susan Wilson】

Nanae Mimura Marimba Recital

【共演】奥田真弘(Percussion. *)

2000年10月30日(月)
19:00開演(開場 18:30)
スタジオ・ルンデ

(名古屋市中区丸の内 2-16.-7)
【参加会費】
一般 \4,200、ペア \7,350、学生 \2,100
一部座席予約可(160席中約50席)
休憩時間にはお茶のサービスがあります
【予約、お問合わせ】スタジオ・ルンデ TEL:052−203−4188
programme
マティアス・シュミット:ガナイア(*)
鷲見音右衛門文広:「変化する共鳴の長さ」
ネボジャ・J・ズヴコヴィチ:イリヤーシュ(*)
パヒェルベル=三村奈々恵:カノン
ヨゼフ・シュヴァントナー:ヴェロシティ
バッハ=三村奈々恵:シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番より)
ポール・ランスキー:「ホップ」(マリンバのための三章より)(*)
クリストファー・ディーン:「雲海の中で」
ビル・ウェラン=三村奈々恵:ファイアダンス(*)
【(*)は打楽器の共演あり】

 

program notes profile(Mimura) review comment CD

プログラム・ノート
1. Ghanaia / Matthias Schmitt
 ドイツの作曲家シュミット(1958年生まれ〉は、アフリカのガーナで民俗打楽器の演奏とダンスにふれた時の事を、最も衝撃的な経験だったと綴っている。ガーナのリズムを基調に書かれたこの曲から、その時の感動が伺い知れる。

2. Length of Variable Echo<変化する共鳴の長さ>/鷲見音右衛門文広
 鷲見(1969年生まれ)は、国立音楽大学の作曲科を卒業し、主にコンピューターを用いた曲を作曲・アレンジしている。この曲のコンセプトは現象、タイポゲラフィー、映像と共鳴で、人声、ノイズ、ボウイング(弓によってマリンバが発する音)をコンピューターによって、加工、コラージュし、生のマリンバの音を包み込んでいる。マリンバのパートは三部形式で、旋律などベーシックなスタイルを用いている。2000年1月12日の三村奈々恵日本デビューリサイタルにて、初演された。本日はコンピューターパートなしの、マリンバソロで演奏。
 デビューアルバム”マリンバ・スピリチュアル”では、コンピューターとの共演が収録されている。

3. Ilijas / Nebojsa Jovan Zivkovic
 イリヤーシュとはユーゴスラビアにある小さな町の名前。ユーゴスラビア出身で現在ドイツに住む作曲家、ズブコビツチは、彼自身もマリンバ奏者である。この曲は彼の多くの作曲にみられる特徴的な、東ヨーロッパの民俗的な音とリズムを基調としています。

4. Transformation of Pachelbel's Canon/編曲:三村奈々恵
 弦楽器がオリジナルのパッヘルベルのカノンを、三村自身がリズムもハーモニーもがらっと雰囲気を変えて、マリンバ・ソロに編曲したものである。

5. Velocities / Joseph Schwantner
 シュワントナーは現在イーストマン音楽院で教授の任にあり、現代アメリカの代表的作曲家である。この曲は1991年に「Percussive Arts Society」の委嘱により書かれたものである。

6. "Chaconne" from Partita No.2 for Unaccompanied violin / J.S.Bach /編曲:三村奈々恵
 無伴奏ヴァイオリン曲の中の「シャコンヌ」を、ブゾーニによるピアノ編曲にアイディアを得て、三村自身がマリンバ・ソロに編曲したものである。

7. "Hop" from Three Moves for Marimba / Paul Lansky
 ランスキーは現在プリンストン大学の音楽学部長の要職にあり、コンピューター音楽にもカを注いでいる。"Hop"はジャズのコード要素を用いている。1998年の作品。

8. In the Sea of Clouds / Christopher Deane
 ディーンは、現在グリーンズボロー交響楽団(USA)の首席ティンパニストで、又、キャンベル大学で打楽器を教えている。この作品の一番の特徴は、ダンプニングであろう。鍵盤をマレットで押さえ付けて、音が響かないようにするテクニックである。特殊奏法が実に効果的に、そして音楽的に使われている作品である。

9. Firedance /Bill Whdan/編曲:三村奈々恵
 ウェランは、アイリッシュダンスグループの”リバーダンス”の曲を作曲している。ファイヤーダンスは、そのリバーダンスのショウーの中からの曲で、フラメンコ調のギターを主にした曲である。それを、三村自身がマリンバ・ソロに編曲したものである。
 戻る 

三村奈々恵 プロフィール
 1997年、国立音楽大学を首席で卒業し武岡賞を受賞。9月よりボストン音楽院修士課程に留学。11月、ロサンゼルスでの「パーカツシブ・アーツ・ソサイエティ・マリンバ・ソロコンクール」で優勝。
奈々恵  98年3月、ボストンでの「ルガーノ音楽祭・ソロコンクール」で優勝。8月、スイスのルガーノ音楽祭に招かれ、ルガーノ市ほか各地でリサイタルに出演し、その際「リリコ・オーケストラーレ・デッラ・ズヴィツェーラ・イタリアーナ協会」から史上3人目の「アロージ賞」を受賞した。
 99年2月、ニューヨーク市において世界各国から415名が参加して行われた、全部門に亘る国際コンクール「コンサート・アーティスト・ギルド・コンペティション」においてソロ優勝し、マリンバによる優勝は初めてのケースで、画期的な事として各界の賞賛と注目を集めた。5月、ハンブルクでの「ワールド・ドラム・フェスティバル」に招かれ、和太鼓”倭”と三木稔氏の「マリンバ・スピリチュアル」を共演して絶賛された。7月にはイタリアでライゲリアの音楽祭出演とリサイタル。バークリー音楽院でのリサイタルに続いて、10月にボストンとニューヨーク・カーネギーホールでデビュー・リサイタル。12月 Bunkamura オーチャードホールでの東急ジルベスターコンサート出演。
 2000年1月には紀尾井ホールにて日本でのデビューリサイタル。現在バークリー音楽院で講師を務めている。各地での演奏では、その卓越したテクニックと詩情豊かでダイナミックな音楽性が、希有な才能として高い評価を受け、多くの賛辞を集めている。
奥田真弘 プロフィール
  国立音楽大学卒業。1998年7月「シエナ・ウィンド・オーケストラ」に入団し現在に至る。オーケストラ、アンサンブル、ラテンパーカッションなどで幅広く活躍するかたわら、吹奏楽の指導などで後進の育成にも力を注いでいる。
 戻る 

三村奈々恵 Concert Review
  マリンバ界の新星、三村奈々恵は、熱情的で、真珠が流れおちるような音でタペストリーを織るかのように、そして興奮させるリズムで観客を納得させた。彼女は幾度か終わりのない拍手と立ち向かわざるをえなかった。彼女は、まったく天のたまものである。〜ワールド・ドラム・フェスティバル’99より〜
   =99年8月号ドラム&パーカッション誌(ドイツ)=

 彼女は、多くの有名なコンクールでソリストとして優勝している。並の新人音楽家ではない。高度なテクニックと洗練されて表現、そのセンスの良さと完壁さは、聴衆に熱い拍手と喝采を巻き起こした。〜スイスのルガーノ音楽祭より〜
   =ジョルナーレ・デル・ポポロ新聞(スイス)=

 若い日本人マリンバ奏者、三村奈々恵は聴衆から熱狂的な拍手で歓迎された。彼女は自信と経験によりジャズ風だったり、ロマンティックな感じだったり、陽気な雰囲気だったりと、鮮やかに色彩を変えた音楽をもたらしていた。
   =メルローズ・フリー・プレス新聞(アメリカ)=

 激しい打音を鳴らしたと思うと、さざ波のような柔らかな音を紡ぐ。マリンバ界の美しき新星である。
  =読売新聞=

 ばちを持った人間の手が筋肉と重力の働きで振り降ろされ木片を打って音を出す、ただそれだけの事なのに、なぜ演奏者が違うと同じ楽器から異なる音色が出てくるのだろうか。 この人はいつも考えているそんな音楽の不思議を改めて思い起こさせる魅力的な音色を持っている。〜音色を直感的に選ぶ耳の良さを持っている。〜
   =公明新聞=

 彼女は驚くべき演奏家である。ソウルフルな本質を持ち合わせ、まるで催眠術をかけられたかのように、魅惑される。まるでダンスのように美しく、(聴くだけでなく)見る事を 楽しませる。全体が視覚的なショーである。
  =WGBHラジオ89.7FM(アメリカ)=
 戻る 

三村奈々恵 『最近思う事。“分かる”瞬間』
 ボストンに住みはじめてから、3年という月日が経ちました。日本という国が異国に感じる今、3年とは果たして長かったのか、短かったのか。しかし、この3年間に私の中で起こった変化は、今まで日本で過ごした10年間に相当する程に思われます。ボストンは東京と全然違います。例えば、空気が乾燥しているから、お菓子に乾燥剤が入っていない、バスルームに換気扇がなくでもすぐ乾く......とか。夏時間、冬時間があるせいで、何度危うい目にあった事か.......みんな英語を話しているし。私のライフスタイルは大きく変化しました。
 今年5月にボストン音楽院修士課程を修了致しました。日本にいた頃の私の学校、授業に対する姿勢は、ただ受動的な(一方的に物事を習う)ものでしたが、アメリカに来て、授業というのは参加し、考え、疑問を持ち、また自分自身の意見を持たなければならないものだと悟り、初めはそれに慣れていなかったので、本当に大変でした。宿題は沢山出ますし、勿論、英語で研究発表などするのは勇気のいる事でした。図書館で何時間も分厚い英語の本と格闘し、涙を流しながら論文を書いたものでした。また、こちらの学生は本当に音楽が好きという自覚があり、どうしても音楽をやりたいから音楽学校に来て勉強しているのです。日本の音楽大学とは、雰囲気も、みんなの意気込みも全然違います。
三村2  ここで気が付いたのは、「当たり前」になっている恐ろしさ。特に私のように、英才教育とでも言いましょうか、幼児の頃から音楽の訓緑を受けている者にとって、音楽は生活の中にあって当たり前。ピアノ、マリンバを弾くのが当たり前。絶対音感があって当たり前。その楽曲や作曲家のバックグラウンドを知らなくても、ただ弾けてしまう事実。私は“好き、やりたい!”という気持ちを自覚するタイミングを失っていたような気が致します。私は幸いにも再認識する機会がここアメリカに来て多々あり、今は自分は本当に音楽を愛しているのだと、音楽なくしては自分でいられないと確信しております。しかし、日本にいる時までは、また、これまでのキャリアを作り上げる前は(コンクールなどに勝ち、ブロの演奏家として活動を始める前は)、“この曲、好きなの、嫌いなの? 何故弾いているの?”などと疑問に思った事もありませんでした。言ってみれば、世間に与えられたものを、何の疑問も持たずに理由なくやっていたのでしよう。その時は自分が選択しているつもりになっていましたが……。
 しかし、アメリカに来て自分の判断が受け入れられた時、その重要さを感じました。アメリカの考える教育と日本の暗記する(受験の為の)教育の差でしょうか。小学校の填、教科書に書いてある事はすべて丸のみに正しいと受け入れていましたが、疑問を持たなかった事を恐ろしく思います。いわゆる文部省や、その著者をどれだけ信用出来るかです。自分で判断する能カ。または、アイデンティティー。ただ何も疑いもせず、すべてを受け入れるのではなく、それが何故そうなのか疑問に思う、反発する、そして自分で納得する答えを見つけだす事の大切さ。正しいか間違っているかは、自分の中で筋が通っていればよい。世間の多敷の人間の意見と違ってもよい。そう思えたのは、こんな言葉の助けもあったからかもしれません。
 “理性のある人間は自分を世界に順応させる。そうでない人は、世界を自分に順応させようと固執する。従って、全ての進歩、発展は、そうでない人によるものだ。――バーナード・ショウ”

 アメリカに来て、生まれて初めてかかった病気がありました。“Strepthroat”というもので、初めはただの扁桃腺炎と思い放っておいたら、口も開けない程喉が痛くなり、病院へ駆け込みました。ここでもアメリカと日本の違いを目の当たりにしました。日本は必ず脈診察をしますよね。でも、そこではしなかったのです。腱鞘炎にかかった時もはじめに西洋医学の病院を試して、ギプスや化学合成の飲み薬では全く効果がみられなかったので、次に東洋医学の鍼治療を試みました。アメリカの西洋医学はいわゆる、“Make Sense”する合理主義の文化、近代科学の文化。文章の書き方、物事に対するアプローチの仕方もそうです。
 しかし、日本は西洋文化の影響をかなり受けているとはいえ、やはり直線的ではない東洋文化です。英語と日本語の内的な違いも双方の思想文化に大きく反映しているのだとアメリカに来てから初めて気が付きました。日本で英語を習っていた時は、ただ“直訳”していて、“翻訳”はしていなかったのです。3年前私の話していた英語は、日本語の内容、ニュアンスを持つただ形だけの英語。こちらで日本語を勉強し、話そうとしている人たち(アメリカ人)からも、それが良く分かります。とても英語的な日本語を話すのです。英語ではとても表しきれない日本人の持つ発想、日本語ではどうもしっくりいかない英語の表現。言葉というのは、文化そのもの、その国に住む人々の考え方、発想なども表しているのだと思います。なんて素晴らしい人類の賜物なのでしょうか。
 しかし、こうして今文章を書いていても、人間の言葉には限界がある、言葉ってなんてリミットなんだろう、とつくづく思います。私の言語能力が貧しいという事だけなのでしょうけれど。しかし、言葉だけではお互い100%理解しあえない。私の見ている“赤”と他人の見ている“赤”が全く違うように、、、言葉を理解するという事は、その人それぞれの過去の経験、歴史にもよるし、もしその人が似たような経験を持つ人間なら、私の言葉と経験を結び付けて理解するのでしょう。言葉はただ一つの表現方法に過ぎません。音楽も言葉と一緒。文章、絵、音楽、建築など、“表す”ものはすべて表現する道具、通すもの、星を見る為の望遠鏡ではないかと。言語に対応する敏速な能力がない私は、瞬時にとても多くの事を感じ、考え、そして思い付いても、それを言語に翻訳するのに時間がかかります。ですから、私には音楽があるのだと思います。音楽を通して自分の感じているものを表現するのは、言語を使うより、私にとっては簡単かもしれません。しかしそう簡単でもありません。何故なら、音楽を表現のツールに使う場合、心、精神状態に不純物があっては、それは起こらないのです。言葉を話す時は、例え頭の中で違う事を考えていても、口では違う事を言う事も出来ますよね。しかし、音楽を使う喝合は、もしそうしていたら、ばれてしまうのです。すべてあからさまに現われてしまうのです。心を何もない状態に出来た時だけ、本当に自分の感じている事が音楽で表現出来るのでしょう。今、私にとっての音楽の存在意味を把握出来たように感じますので、何故譜面を読み、暗譜するのか、何故曲を弾<のか、分かったような気が致します。
 私の母語は日本語ですが、私にとって音楽はそれ以上の価値を持っています。それから、この世の物すべては、見る方法、角度を変えるだけで、全然変わってくるという事も最近とても大事な事ではないかと思います。物の見方を色々変えるという点で、例えば……お金でどうにも解決できない事がある。言い換えれば、お金でどうにもある事の方が多い。というように……まあ、この例は否定的で良い例ではありませんが、物事を色々な角度からアプローチしてみる、自分が未体験のものに対して疑問、欲望を持つ事が、どんなに意味をなす事か。自分で経験した事、自分の目で見たものは瞬時に理解出来る、知識と体験の違い。かといって人間は目だけで物を見るのではないし、耳だけで間いているのでもない。目で見たもの、耳で聞いたもの以上に、心で感じたものを信じる勇気、好きな物を好きと認め、嫌いな物を嫌いと受け止める、自分に対する勇気が必要だと思います。

 この秋、私が個人的に最も楽しみにしている演奏会は、“National Instrument”がマリンバである、全国民がマリンバを(彼等のマリンバはバラフォンのような伝統楽器ですが)なんであるかを知っている国での演奏――グアテマラでソロ・リサイクルと、国立交響楽団とのマリンバ・コンチェルトの共演です。とても面白い文化の交流です。日本人である私が、アフリカ、中南米を起源とし、アメリカ合衆国で発展したコンサート・マリンバで、スペイン人作曲の「アランフェス協奏曲」(スペイン伝統音楽と西洋音楽の混合)を、アメリカ人指揮者とグアテマラの人たちによる、西洋オーケストラで共演。この出会いがまた、どんな事を”感じあう”のか、とても楽しみです。
 戻る 

三村奈々恵 最新CD(2000年9月6日発売)
DEBUT ALBUM [ MARIMBA SPIRITUAL ] Sony Classical
エンヤ(編曲:三村奈々恵):カリビアン・プルー
【ヴィブラフォンとマリンバの多重録音】

ヨハン・パッヘルベル(編曲:三村奈々恵):カノン
【マリンバのソロ・アレンジ】

ジョセフ・シュワントナー:ヴェロシティス
【マリンバ・ソロによる作品】

三木 稔:マリンバ・スピリチュアル
【マリンバと和太鼓群の共演曲】

ヨハン・セバスチャン・バッハ(編曲:三村奈々恵):シャコンヌ
【マリンバ・ソロによるアレンジ】

エンニオ・モリコーネ(編曲:三村奈々恵):デボラのテーマ
(映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」より)

【マリンバ・ソロによるアレンジ】

ダニエル・レヴィタン(編曲:三村奈々恵):マリンバ四重奏曲 第1楽章&第2楽章
【マリンバ四重奏の作品を2台用のアレンジ】

鷲見音右衛門文広:LENGTH OF VARIABLE ECHO<変化する共鳴の長さ>
【マリンバとコンピューターのための作品】
 戻る 

前のページへピッポのトップへ