桑形亜樹子 チェンバロ・リサイタル
〜生まれ変わる音達〜
チェンバロ製作家・堀 榮蔵氏を偲んで

KUWAGATA AKIKO  Cembalo Recital

桑形
《ルンデの会9月例会》
2005年9月27日(火)19:00(開場 18:30)
スタジオ・ルンデ
(名古屋市中区丸の内 2-16-7)


タルクイニオ・メルラ:半音階的前奏
成田和子:PICTORIAL PIECE I for harpsichord  Op.50 (1995) (抜粋)
ジョヴァンニ・マリア・トラバーチ:「私は若き乙女」(原曲:フェッラボスコ)
北爪やよひ:ENEK III (1979)
フレスコバルディ:トッカータ 第6番 (トッカータ集第1巻 1635年版より)
ヴァイス:パルティータ ニ短調 (モスクワ写本より)
間宮芳生:風のしるし、オッフェルトリウム(2004年、舘野泉氏の為に作曲、チェ ンバロ版世界初演)
J. S. バッハ:組曲 イ短調 BWV.996


【参加会費】一般 \4,000、ペア \7,000(要予約)、学生 \2,000
      一部座席予約可(160席中約50席、学生除く)
【予約、お問合わせ】スタジオ・ルンデ TEL:052−203−4188
桑形亜樹子
 東京生まれ。東京芸術大学附属高校作曲科を経て、同大学件曲科入学。矢代秋雄、池内友次郎、内田勝人、尾高惇忠、永富正之、間宮芳生に師事。
桑形  在学中 DAAD 西独政府給費留学生として渡欧。デトモルト国立音楽院、シュトゥットガルト芸術大学各チェンバロ科ソリストコースを最優秀で卒業。国家演奏家資格取得。ヴァルデマール・デューリング、ケネス・ギルパート、リナルド・アレッサンドリーニにチェンバロを師事。オルガンをオデイール・パイユー、J. L. ゴンサレス=ウリオルに師事。
 第8回ブリュージュ国際古楽コンクールチェンバロ部門1位なし2位及び聴衆賞。第8回パリ国際チェンバロコンクール2位及び現代音楽部門賞、第9回ライブツィヒ・バッハ国際コンクール4位。94年/99年度文化庁在外研修員としてイタリア、スペインにて研鑽を積む。91年よりバリに居を移し、フランス国立セルジー・ボントワーズ地方音楽院講師、ショーモン市立音楽院講師を務める他、欧州各地、アメリカで演奏、ドイツ、フランス、ベルギー各国国営ラジオに出演。バーデン・バーデン州立オーケストラ、ドイツ・バッハゾリステン、コンチェルト・イタリアーノ他と共演、ヨーロッパ各地の古楽フェスティヴァルに出演。
 現代作品の委嘱、初演も数多く手掛ける。邦人委嘱作品としては間宮芳生「11月のトッカータ」、田中カレン「香草の庭」など、日本・世界初演では B. ジョラス、R. ラガナ、E. バリオ等のチェンバロ・ソロ作品がある。
 89年ソニー音楽芸術振興会パフォーマンス・トウデイ・シリーズで東京でのリサイタルデビュー後日本各地でも演奏。2000年、17年の欧州滞在後東京に戻り、現在新しいコンサートの形態を模索中。この3年間は音律と音楽に関するレタチヤーコンサート、古楽理論・奏法に関する講習会を数多く企画。東京芸術大学、名古屋芸術大学で特別講義を行う。97年、03年度山梨古楽コンクール審査員。
チェンバロ  松本市ハーモニーホール・チェンバロ講師、東京芸術大学非常勤講師。訳書「コレット/クラヴサン奏法の師」。
 ルンデには、1989年のデビュー・コンサート以来、93年、96年、97年と来演しています。

※コンサートに使用される楽器はルンデ常備で、日本を代表する楽器製作家・堀榮蔵氏1985年の製作になる「1640年エムシュ(フレンチ・ヒストリカル 4ストップ)」です。堀氏は残念ながら去る6月死去されました。
 このコンサートは、ご遺族のご了承を得て同氏に捧げる追悼コンサートといたします。

〜プログラムに寄せて〜  桑形亜樹子

 今回聴いて頂く曲の多くは、実は初めからチェンバロだけを念頭に書かれたものではない。例えば前半の17世紀イタリアのレパートリーはオルガンと共有されていたし、マドリガーレの鍵盤カヴァーは装飾豊かに、新しい和声の趣味も加えられて大流行した。ヒットソングを1人で鍵盤で弾く愉しみは今と同じだ。
 後半のヴァイスとバッハの原曲はリュート用、しかしこちらもバッハが所有していたという『ラウテン・クラヴィア』というリュートのような音が出る不思議な鍵盤楽器やチェンバロで「必要な音を足して」当時普通に弾いていたらしい。そして邦人作品のうち2曲も初めはピアノやギター用に書かれたのだが、チェンバロでも曲の魅力を十分引き出す事が出来、更に新しい世界が開けると確信し、作曲家に頼んで弾かせて頂く事となった。再生と同時に転生してゆく音の命を私と御一緒に感じて頂けたら幸いである。

 3人のイタリア人作曲家は同時代に全く違った所で、各々の音楽シーンをリードしていた。音楽でのマニエリスム全盛といえよう。尚、フェラボスコの元歌は半世紀に渡って編曲され続けた大ヒットで、歌詞はボッカチォ作「デカメロン」の中に見い出される。

 バッハの曲は実はリュートでは演奏が大変難しく、初めから『ラウテンクラヴィア』が念頭にあったとも言われている。今回はベルギーの写本に従い四度上に移調された版(チェンバロの響きを考えて)を使用する。どちらにしても磨き抜かれた珠玉といえよう。ヴァイスは当代一のリュート奏者/作曲家であり、欧州中で活躍したメトロポリタンであった。バッハとも交流があり、お互いの曲を弾き合ったのは想像に難くない。

「エネク」    北爪やよひ

 この作品はもともとはピアニストのために書かれたもので、「ピアニストのための」という副題がついています。
 1979年、深新会第7回作品展で、高橋アキさんにより初演されました。
 その後何度か再演されていますが、今から何年前になるでしょうか?池田逸子氏経由で楽譜が桑形さんの手に渡ってからは、「チェンバロ奏者のための」という副題も必要となりました。
 桑形さんの帰国記念?コンサートを聴いている時、私の他の楽器のための作品殆ど全てが、私の中ではチェンバロの音に置き換えて響かせられる、ということに気がつき驚いたのをよく覚えています。
 ピアノから様々なタッチの質を持った音を引き出し、またひたすらピアニスティックでない表現を求めて、格闘しながら書いた作品ですが、桑形さんのチェンバロによってさらに新たな魅力ある音空間が生み出されることでしょう。
 曲は、五つの部分に分かれていて、終曲では奏者の弾き歌いが楽しめます。
 しなやかな感性を持つ桑形さんと、この作品の音楽性がどこかで響きあい、幸せな出会いを持つことができたのだと、初の全曲演奏にわくわくしています。
 「エネク」とは、うたという意味のハンガリー語。【2005年 夏】

チェンバロのための“ピクトリアル ピース”作品50  成田和子

 タイトルの“Pictorial Piece”に含まれる“pict”は“pitogramme”(絵文字)や“pictural”(絵画的)などと同じように、絵画的な印象という意味を持つ。
 曲は緩慢な時間の流れの中で、二つの絵画的な場面が共存しつつ変化していく様子を写している。2段の鍵盤がそれぞれの時間の流れと場面を提示しており、レイヤーのように場面が重なる部分がかなりある。チェンバロ独奏曲であるが、中間部から終わりにかけて、奏者が片手でチェンバロも弾きながら、もう片手で譜面代の上方に吊るされた鐘を鳴らすところがあるが、その部分はチェンバロでも代演できるようになっている。私にとってチェンバロという楽器は、ハープもそうであるが、最も優雅で貴族的な楽器である。ラモー、クープランやデュフリのチェンバロ作品に見られる華麗な装飾書法に憧れなかったと言ったら嘘になってしまう。  

風のしるし・オッフェルトリウム   間宮芳生

 左手のためのピアノ独奏曲《風のしるし・オッフェルトリウム〉は、2202年1月脳溢血で倒れ右半身不随から不死鳥のように、左手の5本の指で音楽の世界に帰ってきた、不屈のビアニスト舘野泉に捧げられた。
 初演は2004年5月18日東京紀尾井ホールでの舘野泉ピアノ・リサイタルで。

 タイトルにある《風のしるし〉の風は、アメリカ先住民族ナヴァホ族の創世神話で語られる月の神、ニルチッイ・リガイのことである。ナヴァホの人々は、この地上の生きるものすべての誕生の時、生命を与えてくれるのはその風の神だと信じてきた。「人はその体内を風が吹いている間だけ生きている。体の中で風が止めば、人は言葉を失い、死ぬ」と。手の拍の先の「うず」は、はじめて体の中を風の神が通り抜けた誕生の瞬間に、風が残していった風紋なのである。
 第1曲のブレストは風の神の小指から吹き出すつむじ風のイメージである。
 第2曲の冒頭のモティーフは、北軽井沢の私の山のコテージを囲む森に、朝夕に来てうたう鳥(あかはら)の言葉である。
 第3曲と第4は、1979年にギター独奏曲として作曲した Sacred Spells (日本語タイトルは「三つの聖詞」)の3曲中の第1曲と第2曲を、ピアノの左手用に創りなおしたもの。ここでも第3曲は風紋、第4曲は体内をひそかに吹く風を体感というテーマに共鳴する。
 第5曲は、フィンランドの古謡の小きな断片が、旋回するような旋律主題によるミニ・シヤコンヌである。
【補注:チェンバロ版初演に当たって、間宮氏と相談の上、多少の音の変更を行った。桑形亜樹子】


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