戸田弥生 ヴァイオリン・リサイタル

TODA YAYOI  Violin Recital
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《ルンデの会4月例会》
2002年4月3日(火)19:00(開場 18:30)
スタジオ・ルンデ
(名古屋市中区丸の内 2-16.-7)

シューベルト:ソナタ 第4番 イ長調 Op.162/D.574
エネスコ:ソナタ 第3番 イ短調 Op.25「ルーマニアの民族様式で」
ベートーヴェン:ソナタ 第9番 イ長調 Op.47「クロイツェル」

【共演】アブデル・ラハマン・エル=バシャ(pf)

【参加会費】一般 4,500、ペア 8,000、学生 2,000
     一部座席予約可(160席中約50席、学生除く)
【予約、お問合わせ】スタジオ・ルンデ TEL:052−203−4188
戸田弥生は昨年6月のバッハ:無伴奏連続会が強く印象に残っています。
 今年のコンサートに寄せる彼女自身のメッセージを。
 『今回、私の心から尊敬するピアニスト、エル=バシャ氏と共に素晴らしい音楽と向き合う時間を頂いた事に心から感謝しております。
 エリザベート・コンクール優勝から足掛け10年、様々な思いを込めてのプログラム、まず私にとって新たな挑戦になるシューベルトのヴァイオリン・ソナタ。シューベルトの音楽はいつも心から音楽を愛する喜びでいっぱいにしてくれます。エネスコの3番のソナタは、私にとって新たなスタートともなったデビューCDにも入っていますが、彼のたえず故郷を思う気持、深く深く沈んでゆく魂、そこから音楽と共鳴してゆくすさまじい力に、強く惹かれます。そして、最後はベートーヴェンの“クロイツェル・ソナタ”。ベートーヴェンの作品は、これからどれだけその音楽に近づいて行けるか、真っ直ぐに向かい合うことが出来るか――演奏してゆくことだけではない自分の生き方をも問われる大きな存在です。』
戸田弥生 プロフィール
 4歳よりヴァイオリンとビァノを始める。
 1985年第54回目本音楽コンクール第1位。桐明学園大学音楽科を首席で卒業し、1992年よりアムステルダムのスェーリンク音楽院に留学して研鏡を積む。
 1993年、エリーザベト王妃国際音楽ニンクールに優勝して一躍注目を集め、以来本格的な活動に入った。その後ニューヨーク・チェンパー・オーケストラ、モスクワ・フィルハーモニー、プラハ・チェンバー・オーケストラ、オランダ・レジデンティ管弦楽団、スウェーデン放送交響楽団、ボン・ベートーヴェン・ハレ管弦楽団、北オランダ・フィルハーモニー、セント・マーティン・アカデミー管弦楽団、ベルガモ室内オーケストラおよび日本の数多くのオーケストラにソリストとして、そして1998年10月には、ドイツ・カンマー・フィルハーモニーとブレーメンと東京で招かれ、共演している。他にも小澤征爾、ユーリー・シモノフ、シェロモ・ミンツ、ジャン・ジャック・カントロフ、アレキサンダー・シュナイダー、スタニスラフ・ブーニン、ジャン・フルネ、ギャリー・ベルティーニ、マルタ・アルゲリッチらと共演した。
 1996年にはニューヨークのジュリアード音楽院より“ディレイ・スカラシップ”を受け、1年間在籍。1997年ニューヨーク・デピューを果たし絶賛を受ける。また、オランダの作曲家 Tristan Keuris(1946-1996)からrヴァイオリン協奏曲第2番(1995)」を献呈され、アムステルダム・コンセルトヘボウにて初演。
 ルンデの会例会には、1995年及び97年にピアニスト、ジャン=クロード・ヴァンデン・エインデンとともに来演、2001年6月にはJ. S. バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ全6曲連続演奏を行った。また2000年秋にはルンデ制作の「オーケストラ・アンサンブル金沢第14回名古屋定期公演」に岩城宏之の指揮でメンデルゾーンを協演、いずれも好評を博している。
 1999年4月にはミラノにてアレクサンドル・ラビノヴィチのヴァイオリン協奏曲を初演した。同年10月、日本フィルハーモニー交響楽団のオランダ・ツアーに同行しプラームスの二重協奏曲を共演した。同年12月カーネギー・リサイタル・ホールにて"Yayoi and friends" で室内楽を中心としたリサイタルを行った。
 2000年11月、日本公演を前にハーグ・レジデンテイ管弦楽団からオランダ・ハーグに招かれ地元紙で大絶賛され、また2001年6月福島国際音楽祭にてJ. S. バッハ無伴奏全曲演奏、11月マレーシア・フィルハーモニーとマレーシア、日本、韓国のアジア・ツアーを行った。
 これまでに江藤俊哉氏、ヘルマン・クレパース氏、シャルル・アンドレ・リテール氏、ドロシー・ディレイ氏ほかに師事。1994年、第4回出光音楽賞を受賞。アムステルダム在住。
 音楽之友社よりCD「エネスコ、J. S. バッハ 他」をリリースしている。2002年春には「J.S.バッハ:無伴奏全曲」をリリースする予定。
 使用楽器は、小野グループより貸与された1694年製作のアントニオ・ストラディヴァリ「スギチェリ」
アブデル・ラハマン・エル=バシャ プロフィール
Abdel Rahaman El=Bacha
 アブデル・ラーマン・エル・バシャは1978年6月ベルギー・エリザベート王妃国際コンクールで審査員全員一致の票決により優勝を飾るとともに、聴衆賞も獲得した。これはエル・バシャ19歳の時であった。
 1958年10月、ベイルートの音楽一家に生まれ、有名な画家を叔父にもつエル・バシャは、1967年マルグリット・ロンとジャック・フェヴリールの弟子だったズヴァルト・サルキサイアンについてピアノのレッスンを始めた。10歳のとき、オーケストラと共演して初のコンサートを開いた。1973年クラウデイオ・アラウが「輝かしい未来を持つ青年だ」と予言し、1974年にはフランス、旧ソ連、英国から奨学金の申し出を受けた。
 エル・バシャは文化的な親近感からフランスの好意を受けることにし、パリ音楽院に入学、ピエール・サンカンのクラスに入った。卒業時には4科目(ピアノ、室内楽、和声学、対位法)で第1位を獲得した。エリザベート・コンクールの優勝後エル・バシャは国際的な活躍を期待されたが、さらに研究を深めレパートリーを増やすべく勉強に没頭した。この頃から音楽紙はエル・バシャをこれまでの偉大なピアニストに匹敵する音楽家として取り上げ始めた。とくに威厳にあふれ、明快さ、優れたテクニックを持ち、しかも静穏な演奏は、感情の根底に迫ると言うのがそれらの内容だった。
 現在では、ザルツブルク・モーツァルテウムからパリ・シャンゼリゼ劇場まで、ベルリン・フィルハーモニーからアムステルダム・コンセルトヘボウまでヨーロッパのどこにもエル・バシャの姿はあり、更に日本、中東、アメリカでも活躍している。エル・バシャは50曲を超える膨大な協奏曲のレパートリーをもち、それはバッハ、モーツァルト、べ一トーヴェン、ショパン、シューベルト、シューマン、ラフマニノフ、ラヴェル、プロコフィエフらの作品を網羅する。
 共演する指揮者も、セルジュ・ボド、エリアフ・インバル、エマニュエル・クリヴィヌ、クルト・マズア、スタニスラフ・スタロヴァチェフスキら鉾々たる顔ぶれ、オーケストラもベルリン・フィル、パリ管、ロイヤル・フィル、N響、コンセルトヘボウ室内管、スイス・ロマンド管が共演している。
 1983年エル・バシャ初のレコーディング、プロコフィエフ初期作品集がACCレコード大賞グランプリを獲得したが、この賞はプロコフィエフ未亡人から直接手渡された。フォルラーヌ・レコードには、バッハの協奏曲3曲、ラヴェルの2つの協奏曲、シューマン、ラヴェル、シューベルトの作品を録音している。べ一トーヴェン「ピアノ・ソナタ全曲」のレコーディングは、コンサート同様、批評家から「大きな出来事」として絶賛を浴びた。この全曲盤CDはラヴェル曲集とともに「フランス・ディスク大賞グランプリ」を獲得した。バッカは現在ショパンのピアノ作品全曲の年代順録音を進めている。
 エル・バシャはまた作曲家でもある。1981年フランス、レバノン両国から2重国籍を与えられた。現在パリ近郊に住んでいる。


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