ルンデの会8月例会 《ニコライ・メトネル没後50年記念》

イリーナ・メジューエワ ピアノ・リサイタル

IRINA MEJOUEVA  Piano Recital
【プログラム】
ニコライ・メトレル (1880-1951)
忘れられた調べ Op.38
追憶のソナタ、優美な舞曲、祝祭の舞曲、河の上の歌、田舎の舞曲、夕べの歌、森の舞曲、追憶
三つの小品 Op.31
即興曲、葬送行進曲、おとぎ話
ソナタ=バラード Op.27


2001年 8月 9日(木)19時
スタジオ・ルンデ(名古屋市中区丸の内 2-16.-7)
【参加会費】一般 4,200、ペア 7,350、学生 2,100
     一部座席予約可(160席中約50席、学生除く)
【予約、お問合わせ】スタジオ・ルンデ TEL:052−203−4188
イリーナ・メジューエワ プロフィール
mejoueva  ゴーリキー(現ニージニー・ノヴゴロド)生まれ。
 同地の音楽学校でM・パーヴロワにピアノを学んだ後、モスクワのグネーシン特別音楽学校およびグネーシン音楽大学でウラジーミル・ドロップ教授に師事し、1998年に同大学を卒業。
 ロッテルダムで行われた第4回E・フリプセ国際コンクール(1992)での優勝をきっかけにオランダ、ドイツ、フランスなどへ客演。日本へは1997年に正式にデビュー。以来、各地での演奏会は好評を博している。バロック、古典派から近・現代の作品まで幅広いレパートリーを手がけるが、近年再評価の進むロシアの作曲家メトネルの紹介者としても注目を集めている。

メジューエワの海外での評価
●メトネル、ショパン、メンデルスゾーンを収録したデビューCDの批評
「この若いピアニストは、優れたテクニックと伝統的なロシアの響きを備えている……(中略)……簡素でありながらよく歌い、エレガントだ」
   【ハロルド・ショーンバーグ/『アメリカン・レコード・ガイド』98年3/4月号】
「23歳にして既に非の打ち所のない技術を備えた優れたピアニスト....(中略)....秀でた音楽性を持っていることは明白である」
   【ブライス・モリソン/『Intemational Piano Quarterly』98年秋号】
●第2作CD「メンデルスゾーン作品集」の批評
「美しすぎる演奏をするというのはなかなかできないことだが、もしそういった演奏があるとすれば、このディスクがそうだ」
   【ヒューエル・タークイ/『In Tune』No.55(98年)】
●第3作CD「鏡〜ラヴェル、ショパン、スクリャービン」の批評
「彼女の弾くスクリャービンの《幻想ソナタ》は、2種類のCDに聴くリヒテルの演奏に匹敵する」
   【ステイーヴン・ウィグラー(米、音楽評論家)】
「優れたテクニックを無駄にすることなく魅力的なピアニッシモを意のままに操るエレガントな奏者」
   【ジョン・ベル・ヤング/『アメリカン・レコード・ガイド』99年1/2月号】

葉隠生んだ国が私を変えた

 外国の芸術家が「歌舞伎や能が好きです」と言っても、驚かない時代になった。文学や芸能など分野を問わず、不勉強な日本人より日本の古典に詳しい外国人はたくさんいる。でも「武士道というは死ぬことと見つけたり、という『葉隠』の美意識に強くひかれた」とイリーナ・メジューエワさんが語るとき、さすがに驚いた。今年24歳、日本に住んで三年目になるロシアのピアニストだ。イリーナさんは1995年、はじめて日本にきた。当時はまだ音楽大学の学生。でも学校の講義で読んだ『葉隠』を生んだ国との出会いは、若い芸術家に多くをもたらした。「日本のさまざまな文化に触れることで、音楽を含めて自分の内面が変わった」と振り返る。以来何度も来日を重ね、九七年からは都内のある大学町で暮らすようになった。現在は演奏会や録音を重ねるかたわら、歌舞伎や能の公演に盛んに通う。「日本の文学では、西行が好き」「ほっとできる場所は温泉」「朝はにぼしと昆布とかつお節でだしをとり、みそ汁を作る」とはにかみながら語るイリーナさんは、可能な限り「ニッポン」を自分の精神に吸収しようとしているようだ。(後略)
【1998年12月 東京新聞「心のファイル」より】
知られざる大作曲家〜ニコライ・メトネル
 ニコライ・メトネル(1880モスクワ一1951ロンドン)は、モスクワ音楽院でピアノをサフォーノフに、音楽理論をアレンスキーとタネーエフに学んだが、作曲はほぼ独学で修めている。
 ピアノ演奏による金メダル授与という最優秀の成績で同音楽院を卒業した後、コンポーザー・ピアニストとして活動を開始、当代第一級のピアニストとして高い評価を得た。1921年に亡命、ドイツ、アメリカを経て一旦パリに落ち着くが、モダニズムと縁遠い彼の作風はパリでは受け入れられなかった。
 1935年、親友ラフマニノフの助力により評論集『ミューズと流行』を出版。1936年、王室音楽アカデミーの名誉会員に選ばれる(1928年)など高く評価されていた英国へ移住。病気がちの晩年にはステージから引退したが、1944年よりインド出身のマイソールのマハラジャによる経済的な援助を受け、最後の録音活動を開始、英HMVに自作自演のレコードを多数残している。

 3曲のピアノ協奏曲をはじめとして、14曲のピアノ・ソナタ、100曲に及ぶピアノ小品を作曲し、20世紀のピアノ音楽史に多大な功績を残したメトネル。スクリャービン、ラフマニノフと並ぶこの作曲家にしてピアニストは、重要な存在であるにもかかわらず、その名前は殆ど忘れられていると言ってよい。
 しかし、近年、メトネル復興の動きが大きくなり、モスクワにおけるメトネル・フェスティヴァルの開催(94年)をはじめ、メトネルの自作自演の録音のCD復刻、さらには雑誌 International Piano Quarterly(英Gramophone社)98年秋号でのメトネル特集記事「The Great Unknown」など、ピアニスト、音楽学者、ピアノ愛好家たちが、メトネルに大きな注目を寄せ始めている。
メジューエワとメトネル
 1996年にCDデビューを果して以来、これまでに多数のアルバムを発表、そのいずれもが海外で極めて高い評価を獲得しているメジューエワにとって、メトネルは特別な作曲家だ。
 モスクワ時代の師ドロップ秘伝のメトネル解釈は、他のピアニストたちと一味違う音楽性をメジューエワに育ませたと言ってよいだろう。95年にモスクワでのオール・メトネル・プログラム・リサイタルを開催、デビューCDでも「六つのおとぎ話 作品51」を取り上げたほか、日本でのデビュー・リサイタル(97年)、各地でのリサイタル(98年〜OO年)でもプログラムに必ずメトネル作品を入れて注目を集めるなど、まさにメトネル演奏の若きスペシャリストとしての地位を確固たるものとしている。彼女にとってのライフワークとも言うべきCD「メトネル作品集」の第1集「忘れられた調べ・おとぎ話」は、日本初のオール・メトネル・プログラムによるCDであった。このシリーズは現在第3集までリリースされており、いずれも高い評価を受けている。


Top of this Page   Back   Top of Pippo-Jp