◎ルンデの会最終例会プログラム添付の 「閉会挨拶文」 |
2006年6月18日「バルトーク弦楽四重奏団」 同年6月25日「小林道夫(非公開)」 |
ルンデの会例会を閉じるにあたって | 2006年6月18日 |
本日の「バルトーク弦楽四重奏団 連続演奏会 第3日」を以て、ルンデの会例会を終わります。
1981年、周囲の様々な状況がルンデの建設を促し、それが短期間の内に実現してしまったのは、まさに劇的ですらありました。またそれは、同時に、私のそれまでの生き様の象徴でもあったと思っております。
それはさておき、当時一介の音楽教師であった身に対して、古くからの友人のみならず、知人経由でそれまで全く見ず知らずであった方々までが、趣意に賛同し「正会員」として建設資金に協力してくださったことは、この上ない幸せでありました。 鈴木峰江、神江 京、大橋邦和、伊藤今生、柳瀬正之、武内紘一、室内楽専用小ホール「スタジオ・ルンデ」を利用して活動するための組織「ルンデの会」は、現在までに延べ約2000名の方が賛助会員として登録され、最盛期には500名近くが在籍されました。現在の有効登録会員は250名です。 公共や企業の支援を全く受けることのなかったルンデの会は、これらの会員の方々が寄せてくださる「年会費」が唯一の活動資金でありました。 そして、会員のための鑑賞企画「ルンデの会例会」は、演奏者がその時点で最も深い思い入れを抱いているレパートリーを、自らの意志で「聴きたい!」と思った聴衆が心ゆくまで楽しむという「理想的なコンサート」の追求を心しました。 会員はもとより、一般のお客様、そしてアーティストとその所属音楽事務所の皆さんのご理解とご協力のもとに、また厳しい環境の中で常に全力で協力してくれたスタッフの面々のおかげで、その理想を貫き通せたことは、生涯の幸せとしていつまでも心を満たし続けて呉れるでしょう。
あらためて皆さん方に心よりの感謝の念を捧げます。 |
ルンデの会を閉じるにあたって | 2006年6月25日 |
本日、ルンデを最も良く理解し支援してくださった小林道夫氏を迎え、ルンデの会最後のコンサートを催します。 氏は1982年以来今回を含め実に49回来演されました。中でも、ルンデがチェンバロを常備するきっかけともなった1985年の10回に亘る「バッハ・シリーズ」、翌年から始まり10年続いた「ゴールドベルク」、その延長線上の「ニューイヤー・バッハ」、更には「モーツァルト:ピアノ・ソナタ全曲演奏」、「古典派の室内楽」のシリーズ等々、実に多彩なプログラムを展開してくださいました。 氏の、11回目の「ゴールドベルク」を聴きながら、過ぎし25年を静かに振り返ることは、ルンデに最も相応しいでしょう。 室内楽専用小ホール「スタジオ・ルンデ」を利用して活動するための組織「ルンデの会」は、現在までに延べ約2000名の方が賛助会員として登録され、最盛期には500名近くが在籍されました。その中には、長年に亘って支援していただきながら、遂にそのお姿にもお声にも接することの無かった会員が多くいらっしゃいました。その宏量に深く感謝いたします。 今日の演奏に使用される楽器は、今は亡き名匠・堀榮蔵氏により、前述の如く1985年に製作されたものです。当時、資金不足を心配した会員有志が、自発的に「チェンバロ基金」を創設しご協力いただいたことは、まさに感激の極みでした。故タチアナ・ニコライエワ女史が来演の度にフレームにサインしてくれたピアノとともに、ルンデにとって無二の宝物であります。 ルンデが多くのアーティストにも支持された最大の要因は、奏出される音楽に対する客席の緊張感に充ちた真摯な態度と、敏感な反応でした。彼等は、異口同音に「素晴らしいお客様だ!」と感慨を洩らしました。その中核をなすのは言うまでもなく会員の皆さんであり、それはルンデの最高の誇りでした。
25年前、一介の音楽教師に過ぎなかった身に対し、古くからの友人・知人のみならず、全く見ず知らずであった方々までが趣意に賛同し、「正会員」として建設資金に協力、またルンデの運営を一任くださったことは、この上ない幸せでありました。ここに現在も当初より引き続きご支援を頂いている正会員を紹介し、感謝と敬意を表します。(正会員登録順、敬称略) 鈴木峰江、神江 京、大橋邦和、伊藤今生、柳瀬正之、武内紘一、そして、今は故人である最大の理解者であった義父母、伊藤信一・百合江夫妻に、深い感謝の念と誇りをもってルンデの四半世紀を報告いたします。
会員を中心とした素晴らしい聴衆、アーティストとその所属音楽事務所の皆さんのご理解とご協力、また厳しい環境の中で常に全力で協力してくれた家族とスタッフ達のおかげで、理想のコンサートを貫き通せたことは、譬えようのない幸せでありました。 |