Essays by “Drinking Bear”
Edition 2007

その1: 4月 6日版

 「お誓い致します」

その2: 4月24日版

 選挙開票速報の怪

その3: 8月19日版

 残暑お見舞い申し上げます

その4:11月 5日版

  やっぱりヘンな日本語

その5:11月14日版

  やっぱりヘンな日本語〜2



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【1】 2007年 4月 6日号

Teddy ●「お誓い致します」

 早くも春4月、今週は新聞もテレビも、各地での新入学、新入社風景を報じている。
 入社式は大体が型のごとくで、社長の「訓辞」と新入社員の「誓い」のやりとりがあるようだが、その中で、某超大企業の報道に引っ掛かった。男女二人の新人が誓いの言葉を述べるのだが、その結びの文句が大方は「誓います」なのに、そこでは「オ誓イイタシマス」だったのだ。
 一体、この種の「誓い」は誰に向かってなされるのだろうか。スポーツに於ける選手宣誓もそうだが、まず自戒を込めて自身に向かうべきもの。そしてその達成を証明してくれる「上なるもの」(信仰を持つ者にとっては神仏)、或いは証人である立ち会いの第三者へであろう。先の「オ誓イイタシマス」は少なくとも自身に向けたものではあるまい。信仰の前提のないこの場で、何故「謙譲語」風(これについては昨年の当欄で述べた)にしたのか。ふつうに考えれば、「お願いいたします」「お渡しいたします」などの言い回しは、目前の所謂目上の人に対して用いられる。すると、この場合は居並ぶ会社の代表者たち、つまり企業に対して誓うことになる。穿った見方をすれば、そこにこの日本を代表する企業の体質が現れているとも言えよう――「会社の命令には、決して背くではないゾヨ」と。当人は原稿を読まされたとして、千人を超す列席の新人たちはどう感じていただろうか。

 先だって、いじめを苦にした生徒が自殺した事件に関して、当該地の教育委員長が記者会見で「調査の結果、いじめの事実があったと判断サセテイタダキマシタ」とやっていたが、これはまさに噴飯ものである。自己の責任においてやったのでは無いよ、と弁解しているようなものだと感じさせるとは思い至らないのだろうか。結果の善し悪しに拘わらず、なぜ堂々と「(自ら)判断しました」と言えないのか。「立候補サセテイタダキマシタ」や「開会サセテイタダキマス」も同様で、何故端的に「立候補しました」「開会致します」と誰憚ることなく明言しないのか。それがもし「謙譲の美徳」を発揮する教養なのだと考えるなら、何をか言わんやである。

 ともあれ、何事によらず「自分の言葉」で語りたいものである。


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【2】 2007年4月24日号

Teddy●選挙開票速報の怪

 去る日曜日の夜、仕事を片付け風呂上がりに一服と、テレビのスィッチを入れたら、折しも統一地方選挙の開票速報が始まったところだった。
 ところが、である。市長選挙の「開票率2%」とやらで、数人の候補者の得票がいずれも1000票なのに、もう「当選確実」があるのだ。
 さらに驚いたことに、「開票率0%」つまり選挙管理委員会による「開票結果が発表されていない」にも拘わらず、堂々と「当選(確実)者」が発表されている。これは一体、誰が何の権限があって決めたのか?
 もしマスコミが、事前に選挙結果を知っているのだとしたら、投票行為は実にむなしいセレモニーになってしまう。よしんば各候補者の知名度や人物・実績から見て、全く問題にならない「選挙戦」だと考えられるとしても、それでもやはり選挙結果の公式な発表以前に、したり顔で先走って特定候補者を当選者として公表するようなことは許されるべくもない。それは選挙民の意志への蔑視と、選挙制度への冒涜にほかならない行為だと思う。

 先にNHKが放送内容改善の一例として、選挙開票速報の充実を掲げていたが、これは実に馬鹿げている。
 第一、選挙というものは時間が来て投票箱が封鎖された時点で、結果が決まっている。それを夜っぴて数えようが翌日ゆっくり開けようが、何も変わるものではない。途中経過を知ったとて、それで何か対応出来ることがあるのだろうか。精々関係者が「祝賀会」の用意に掛かるかどうか位で、選挙民には何もしようがない。こちらは正式な開票結果を知らされれば充分なのである。ましてや開票経過を解説付きで述べ立てたところで何の価値もなく、徒に無駄な費用を費やすだけだ。
 それに、当選者の選挙事務所に駆けつけて、あの馬鹿馬鹿しい「バンザイ」風景を中継したとてなにほどのことがあろう。選挙期間中は予想屋よろしく騒ぎ立て、結果発表を「ワイドショー」仕立てでハシャぐより、常日頃から政治に関してもっともっと実際的な啓蒙活動に身を入れるべきだろう。それがマスコミやジャーナリストの使命ではなかろうか。

 たって「速報」したければ、いっそ全ての選挙を電子投票にして、投票開始時から刻々と途中経過を公表すればいい。さすれば、選挙民がその推移を目の当たりにして「かくてはならじ」という事態に危機感を抱き、自分の一票の行使の重要性を認識し直すこともあり得るだろう。


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【3】 2007年8月19日号

Teddy●残暑お見舞い申し上げます。

と、まあ「時候の挨拶」なら言うべきだが、とても「残」ではなくまさに「盛暑」のこのごろだ。先日、「自宅で熱中症」を実体験した。風通しの良いところで(体温以下の空気は、動いている限り快適に感じる)水も飲まずに片付け仕事に夢中になっていたら、突然目が回って意識朦朧の状態になった。何とか横になり水を飲んでから、十数時間眠りこけて無事「生還」したが、その日から数日間は「自宅でお年寄りが死亡、原因は熱中症」というニュースが連日報道されていた。下手をするとその一人にカウントされたかも知れないと思ってゾッとしたものだ。以後、ヤタラに水を補給している。とんだ「仕事に熱中症」騒ぎだった。
 閑話休題

 もの申したいことは多々ある昨今だが、暑い最中にウダウダ言うのもナニだから、軽い話題を一つ……もっともあまり「軽い」事でもないとは思うが……。

 今朝の新聞の投書欄に大相撲に関するものがあって、文中に「関取出身者か行事出身者」とあって思わず吹き出した。いや、このごろテレビ・ラジオでプロのアナウンサー諸氏が、イントネーション尻上がりまたは平坦化現象に従って「行事」を「行司」と同じに発音しているのを聞き苦しく思っていたが、こうまで(多分「変換ミス」というヤツなのだろうが)混同振りをはっきり文字に書かれると、なんとも恐れ入ってしまう。
 そう言えば先日も新聞に「有効的に処理」と云うような表現があった。もちろんそう使わないとは言わないが、一般には「有効」な手だてが「効果的」なのだろう。これを耳から聞くと「友好的」の方がまず頭に浮かぶこと請け合いである。
 ついでながら、テレビで自民党の幹部が「(総理に)申し上げさせて戴いた」などと発言していたが、「 I said ...」ですんでしまうのを妙に馬鹿丁寧に言うのも聞き苦しいものだ。選挙期間中によく耳にした「立候補を決断させていただいた……」式の表現も「決断いたしました」の方がよほど強く響いてくるのだが、なぜ皆、心にもなくへりくだってあわよくば他人の所為にしようともするのだろうか。
 もし故ケネディ大統領のあの演説が「たいまつを掲げて進ませていただきます」だったら、と考えると……ネェ。


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【4】 2007年11月5日号

Teddy●やっぱりヘンな日本語

 前々から度々採り上げている問題だが、特にマスコミに現れるヘンな日本語(表現)は、その影響力も含めて気にならざるを得ない。

 極く最近のテレビ・コマーシャルで耳にした、ヘンな表現、
 曰く:「その性能は想定外の巨大地震まで想定しています。」
 まあ言わんとするところは理解できるが、日本語としてはやっぱりヘンだ。このキャッチコピーの作者は「想定外」という単語の意味をどう解釈しているのだろうか。或いはユーモアを含んだ表現だと言いたいのかも知れないが、ちょっと無理があろう。例えば、まじめにやれば、「いままで想定外とされていた巨大地震までも想定しています」。或いはいっそ大見得を切って、「我々には想定外はありません」とでも嘯くか。いずれにせよ、書いた人、チェックした(筈)の人、読み上げる人などが、みんな何の疑いも持たなかったとしたら、何をか言わんやである。

 同じ頃の新聞の伝える大リーグ情報、
 曰く:「(誰々が)おもむろに駆け寄った。」
 「おもむろに」とか「やおら」と来れば、それに続く行動は「歩み寄った」と表現するのが本来だろう。この記者氏が描かんとした前後の情景から察するに、「突如身を翻して」駆け寄ったのではなかったかとも思うのだが――とにかくヘンである。もっともこの種の形容詞や副詞の使い方の誤りは、少なからず目に付くのである。そしてその用法が「真似」られて、拡がる……。

――やっと涼しくなって、憎まれ口を叩く元気が少し戻ってきたようなので、まずは小手調べに一筆啓上。


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【5】 2007年11月14日号

Teddy●やっぱりヘンな日本語〜2 「ヨロシカッタデスカ」 etc.

 これは「ヘンな」と言うより「気になる」とした方がいいのかもしれない。最近とみに耳にするようになった言い回しである。

 曰く「ヨロシカッタデスカ?」
 曰く「ダイジョウブデスカ?」

 電話のベルが鳴る。「もしもし、○○さんでヨロシカッタデスカ?」
 ためしに「いきなりヨロシカッタデスカと言われても、なにがヨロシイのか返事のしようがないヨ」と答えたら、「カクニンです」と来る。「藪から棒にカクニンったって、何をどう確認したらいいのか判らないよ」。「つまりこの番号で良かったかという事です」……と、とにかく訳のわからないやりとりに際限がない。
 要は「○○さんですか?」、「○○さんのお宅でしょうか?」といえば足ることだ。いや、いままでそれで充分足りてきた筈なのに、何故ヘンに意味のない言い回しになったのだろう。
 それでも我慢して我が家は○○に違いないから「○○です」と答えると、「いまお話ししてダイジョウブデスカ?」。いまさら何を心配してやがるんだ。大体「ダイジョウブデスカ」とは考えようによってはひどく失礼な言い方だゾ。日常生活の中でトンチンカンな受け答えをした相手に「おいおい、ダイジョウブか、お前」などとやるだろうに。相手の都合を聞きたいのなら「いまちょっとお時間を戴いてもよろしいでしょうか?」と言えばいい。それに対してこちらが「いいですよ」とか、それこそ「大丈夫ですよ」とでも答えるのではないか。
 これらの言い回しは、コマーシャルやドラマのセリフを通して茶の間に侵入してくるので、みんな抵抗無く学習して、そういうものだと世に通用してゆく(このテレビを介しての波及効果は大したもので、例えば子供も大人も「スゲェ」「ウメェ」を、江戸っ子気取りの、或いはちょっとワルぶってみる意識など皆目関係なく、至極普通に使うようになってしまった)。

 今やこの「ヨロシカッタデスカ」の氾濫振りにはあきれかえるばかりである。
 例えば、何か書類を記入しなければならない場面で、対応してくれる係員のセリフはざっとこんなものである……。
 「お名前お聞きしてヨロシカッタデスカ?」
 「ご住所お聞きしてヨロシカッタデスカ?」
 「お電話お聞きしてヨロシカッタデスカ?」……
 ああこのおそるべきワンパターン。
 そもそも「ヨロシカッタデスカ」と言いながら、その実それらは絶対に聞きとる必要のあるデータなのだろう。「ヨロシカッタデスカ」を連発されると、こちらはへそ曲がりだから、時には「イヤだ」と言ってみたくもなる。
 「お名前をお願いします」
 「ご住所はどちらですか」
 「お電話番号をお聞かせください」……。
 とでも順に調子よく聞かれれば、答える方にも何の抵抗もなく、スムーズにことが運ぼうというものではなかろうか。

 ああ、「ヨロシカッタデスカ」「ダイジョウブデスカ」アレルギーが、花粉症並みに日増しに強くなるようだ。
 ニュアンスに富んだ日本語の言い回しが、日に日に薄れてゆく。いやだいやだ。

◎追記:いまテレビから聞こえてきたコマーシャル――電話の場面――

セールスマン「いまダイジョウブデスカ?」
客の女性「ダイジョウブデス」
 つい最近までなら、多分――
セールスマン「いま、少しお時間を頂いてよろしいでしょうか?」
客の女性「はい、どうぞ」
だったろうに……。

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