Essays by “Drinking Bear”
Back Number, 2006

その1: 1月 5日版

 “寿限無”銀行の誕生 〜 これは感性の問題か?

その2: 4月 3日版

 4月1日を『ホンネの日』に

その3: 4月10日版

 「こしょう」している感覚

その4: 5月20日版

 「憎みきれない」……?

その5: 5月25日版

 「愛国」と「共謀」

その6: 8月24日版

 惑星とはなんぞや?

その7:10月24日版

  「ビカゴ」?……なら「ヒゲゴ」

その8:11月 6日版

  「人」行えば、「熊」それに倣う

その9:11月16日版

  そりゃ聞こえませぬ……

その10:12月 1日版

  「光」の偏在。そして、「幻想的」とは?



Runde  このページへのご意見、ご感想を!  Pippo

 
【1】 2006年 1月 5日号

Teddy●“寿限無”銀行の誕生 〜 これは感性の問題か?

 気がついてみたら、なんと2005年は一言も発せず仕舞いだった。あまりにも踵を接して発生する「事件」に、ただ「あれよ、あれよ」と目を回すのみ……とは、我ながら情けなくも「老いたり」と思わざるを得なかった。そう、「古希」の訪れの実証でもあろうか、と、考え込むことしきりである。

 で、気を取り直して、今年は精々発言しようと心に決めた……そして新年……年頭、「世界最大規模の金融機関誕生!」の勇ましいキャッチフレーズとともに出現した我が国の銀行の名前を見て、呆気にとられた。長いのである。もっとも字数だけで言えば、ごく最近まで6文字の「日本長期信用」銀行があったが、これは字面を見て納得が行くし、略して「長銀」と呼んでしまえば何と言うことはなかった。しかし今度の新銀行名はあろうことか「三菱東京UFJ」……7文字名なのである。しかもこの三題噺的名称は、それぞれが何の脈略もない単語の羅列であり、略称も考えつかない代物である。ことあるごとに長たらしい名前を書かねばならぬ(また企業等では印刷物からゴム印の類まで別誂えのサイズで作り直さずばなるまい)、この利用客にとっては迷惑至極な改名は、所詮経営陣のメンツに由来するものでしかないのではないか。その前身が何であろうと、新たな企業体として出発するのだという気概があれば、むしろこれまでのしがらみと決別して、誇りを以て輝かしい新名称を名乗って貰いたいものだ。顧客の利便性を全く無視したくだらない命名には、一利用者としても不愉快至極である。
 「寿限無」のトドのつまりが「長助」であるごとく、「三菱」「東京」「UFJ」と由緒(?)ある名前を、ただ単に並べるのではなく、素晴らしい「オチ」を付けていただきたかった。柔軟な発想と魅力的な感性を備えた積極的な人物が、膨大の組織の中に存在しなかったとは、考えたくないものである。


up.gif

 
【2】 2006年 4月 3日号

Teddy ●4月1日を『ホンネの日』に
【また、前置きのこと】
 「その1」での反省や意気込みなどどこへやら、意気地のない日々が続いて、気がつけばはや4月! 恐ろしい。まさに人生後半は、急坂を転げ落ちるようだ。
 だが、この4月から、やっと時間に若干余裕が出来たので、ボケ防止のためにも、精々この欄を更新して行きたいので、あらためてお付き合いのほどを。

 さて、4月朔日の朝刊を見ていて、「エイプリルフール」という言葉が見あたらないことに気付いた。そう言えば、何時からかこれは「死語」になっていたのだ。まあ、それも無理からぬ。最近は日常的に「ウソ」や「ダマシ」が横行しているので、殊更日を構えて嘘をつく必要もないし、言われてみても面白くもなんともない。
 しかし、これは明らかに文化の後退であろう。見事な嘘に「してやられたり!」と笑い合う心の余裕が無くなったことを意味する。考えてみれば、なんとも味気ない世になったものだ。
 で、いっそのこと、4月1日を「ホンネの日」にしたらどうだろう。この日ばかりは、今までのウソをかなぐり捨て、ホントのことを告白しても一切咎められない……。そうすれば、何となく胡散臭かった事柄に「フン、そうだったのか」と納得でき、日頃のモヤモヤが幾分解消されて、たった一日とは云え世の中随分スッキリするに違いない。
 これ、如何?


up.gif

 
【3】 2006年 4月10日号

Teddy ●「こしょう」している感覚

 下がったままで「こしょう」表示の出ていた踏切をくぐり、列車にはねられて死亡するという痛ましい事故が起きた。報道では本人の「勘違い」と言い、JR側は旧国鉄以来の決まりで、この表示をあらためるつもりは無いと述べていた。「こしょう」と表示しておけば、通行人はほかの踏切に回るだろうし、また通報もしてくれるだろう、というのだ。この感覚もすさまじいと思うが、その上、たとえ故障していなくても(列車の往来が頻繁だと)下がってから一定時間以上経過すると、自動的に「こしょう」と表示されると。で、JRの結論は「故障していよういまいが、遮断機が下がっているときはとにかく踏切に入るな」。では「こしょう」表示は何のためにあるのか。道路工事なら迂回路を示す標識があるし、建物の入口扉の故障ならどこそこへ「お回りください」と掲示されている。「こしょう」踏切にも、だったら「どうしろ」と指示すべきだが、別の踏切の案内や、「スミマセンガ、ここへ知らせてください」とでも良く判る表示があるのか。
 鉄道側の言い分は「列車が走っている状態(つまり遮断機が道路を閉鎖している状態)が普通」であることを前提にしている。通行人側にしてみれば、鉄道が随時一方的に道路を遮断してしまうのだ。しかし、こちらはいたって寛容で、「開かずの踏切」でも辛抱強く待っている。鉄道側はそれをいいことに、大名行列のお殿様気分になっているのではないか。「本来上がっている」はずの遮断機が「故障して下がったまま」になっていると思えば、道路使用者の方はくぐってでも通りたくなるのは自然の人情だ。上がったままで故障したらどなるのかね?
 最近の報道では、国交省側の「指導」で表示をあらためる方向で検討していると言うが、まずは、半ば麻痺しているような「感覚」のリハビリから始めて欲しいものだ。


up.gif

 
【4】 2006年 5月20日号

Teddy ●「憎みきれない」……?

 今朝の朝日新聞(5月20日付け朝刊)の『天声人語』に目を通していて、どうにも引っ掛かる箇所があった。広島での幼児殺害事件に関しての、以下の文章である。
 『▼愛らしく、家をにぎやかにしていた7歳の娘の命が突然絶たれるという悲しみは、計り知れない。幼くて、まだ力の弱い子供に対する卑劣な凶行は、憎んでも憎みきれないものがある。』云々……。
 文意はよく理解できるし、それが全く以て許し難い犯罪であることにも、無条件に同意する。
 だが、読んでいて強く共感すると同時に引っ掛かった箇所は、下線を施した部分だ。下線部の後半にある「憎みきれない」という表現にいささか異論を持つのだ。
 この「憎みきれない」という言い方は、そもそも「結局、憎くはない」ことを意味しているのではないか。例えば、どうしようもない悪童の悪戯に辟易しつつも、時折見せる如何にも子供らしい仕草や表情につい絆されてしまう心境などを表すときに「……とは言え、子供故かどうにも憎みきれないのだ」などと。つまり「……しきれない」は否定の意味を含んでいるのだろう。ほかにも「死んでも死にきれない」は、結局死ぬことを精一杯否定する場合に用いられる。だからここは「いくら憎んでも憎み足らない」とでも言った方が適切だったろう。

 以前からしばしば指摘されているが、「情けは人の為ならず」のように、本来の意味と違った理解のされ方をする言葉(用法)が増えている。最近よく見かけ、或いは聞かれるようになったその一つに「悩ましい」がある。この「悩ましい」は、これまで専ら「苦しい」「つらい」と言った気分が「官能が刺激され」て起こる場合に用いられてきた筈だ。しかし今や、お役所が予算措置に窮したり、二者択一を迫られる状況などを「頭を悩ませている」とか「悩んでいる」とはしないで、「悩ましく思っている」とか「悩ましい」などと言ったり書いたりしている(ついでながら、ここの「とか」は本来の用法である)。
 今回の話題は、ことが『天声人語』――大学入試問題に引用されるなど、最も格調高い日本語文とされている――であるだけに、多大の関心と危惧の念を抱かざるを得なかった。もちろん、この危惧が、国語学者でもない素人の思い過ごしであれば幸いであるが。

 事のついでに、もっと次元の低い話を一つ。最近のラジオ・テレビのスポーツ中継番組で耳にする滑稽な言葉――「今の作戦はユーコーテキでしたね」。ユーコーテキとはフレンドリーだととっさに聞いてとまどうのだが、解説者氏のつもりでは「有効的」らしい。これは「有効」か「効果的」のどちらかでいい筈だが、結構その筋では「普及」しているようで困ったものだ。「話す」プロは、充分勉強して欲しい。
 好むと好まざるとに拘わらず、マスコミの行為は世のスタンダードになって行くのだ。


up.gif

 
【5】 2006年5月25日号

Teddy ●「愛国」と「共謀」

 このところ「共同謀議を罰する」法律制定を巡って、マスコミでも議論が繰り広げられている。この問題と云い、「教育基本法の改訂」と云い、政治家のセンセイ方は一体どういう精神構造をお持ちなのか、まずは摩訶不思議である。
 後者の眼目『愛国心』――まずは法律で定義する筋合いのモノではないだろう、とシロートは考えるのだ。「愛する」という感情と、「愛し方」の主観的、客観的評価は一意的ではない。
 下司の勘ぐりで言わせて貰えば、自分たちが「国を愛し郷土を愛する」教育をチャンと受けていなかったから、平然と税金を無駄遣いし、或いは脱税なんかの不法行為を重ねたという、政官財界のお偉方の反省の結果なんだろう、きっと。もっとも政界では、自分の選挙区の利益のために鋭意奉仕することで「郷土を愛する」心の具現化を実践したとおっしゃるかも知れないが……。
 片や「共謀罪」については――政官財馴れ合いの天下り人事や公共事業のおおっぴらな談合、事と次第によっては政界の常識である「水面下の根回し」なんかも、「国民の権利と義務に対する反逆の共謀罪」の対象にはならないのかなァ。
 とにかくスッキリしないこと夥しい昨今ではある……。


up.gif