Essays by “Drinking Bear”
Back Number, 2004


その1 「……根岸の里の侘び住まい」(附:「毒舌」とは?)    1月15日版
その2 『目クソ、鼻クソを嗤う』(その2)    2月14日版
その3 ドロボー天国、何とかならんかねェ    3月24日版
その4 この一票の軽さ……参院選開票速報に想う    7月14日版
その5 要は感性の問題(1)……知事と議員(大阪府)の場合   10月23日版


Runde  このページへのご意見、ご感想を!  Pippo

 
【1】 2004年 1月15日号

Teddy●「……根岸の里の侘び住まい」(附:「毒舌」とは?)
 子供の頃「トーシノハージメノ、タメシートテー」と云う唱歌があった。ラジオからは目出度そうな琴や尺八が、表通りからは羽根つきの軽く弾んだ音や万歳の鼓が響いていたものである。
 すっかり変わってしまった昨今の正月風景だが、さすがに宮中では伝統が重んじられ「歌会始の儀」がいまも古式に則って行われている。今年のお題は「幸」とのことで、次第内容が14日の夕刊に詳しく報じられていた。
 皇族や召人の歌はさておき、一般から寄せられた入選歌は、いつも素朴で美しいものが多いから先に読むのだが、今年もとりわけ心惹かれる一首があった。
まだ花も貴女もわかり幸せと 盲しゆく母の哀しみは澄む
 熊本県の女性の作。母娘の心の揺らぎが静かに、ひたひたと押し寄せてくるようだ。

 さて、目を戻して、天皇の歌は無難でどうということはないが、皇后は格調高い響きがなかなかの「学者」を感じさせる。皇太子夫妻は当然のごとく我が子に焦点を当てて微笑ましい……と順に見ていって、ちょっと待てよ――ハタといぶかしいことに気付いた。
 皇太子を含め三人の皇族の歌の下の句が、等しく「幸おほかれとわが祈るなり」なのだ。失礼ながら、これじゃまるで俳諧の方で云う「……根岸の里の侘び住まい」みたいじゃないか。披露は当日のぶっつけだったのか、或いは前以て誰か気付いてもどうも出来なかったのか、これでも別段問題はないことなのか。それぞれの方々が唯一首しか詠まれなかった訳でもあるまいに、何故?
 所詮、シモジモには理解しがたい世界のことなのか知らないが、折角の伝統行事に寄せるそこはかとない想いも一気に色褪せてしまった。もっとも、昔ならたとえそう思っても表に出せなかったこんな畏れおおいワルクチを、平気で口に出来るだけでもいまは幸せか。

 「ワルクチ」で唐突に思い出した。いま「毒舌」で大受けのタレントが居ると聞いていたが、昨年末テレビでその「毒舌」なるものを偶然拝聴した。あからさまに言えばなんのことはない、それはユーモアのセンスも無く気の利いた皮肉でもない只の「悪口雑言」に過ぎないじゃないか。そんな「ワルクチ」を浴びせられた側がゲラゲラ笑っている。多分大勢と一緒だからだろう。あのセリフを一対一で聞かされても平気でいられるだろうか。
 「悪口雑言」と「毒舌」は全く異質なものである。それが同列にまかり通り稼ぎになる今の世を、幸せと言うべきなのか……。

up.gif

 
 【2】 2004年 2月14日号

Teddy ●『目クソ、鼻クソを嗤う』(その2)
 品の悪い譬えがタイトルで恐縮だが、「これは例の福田長官の……」と言えば、賢明なる諸氏は「ハハン、あれか」と察してくださるだろう。左様、あの野党議員の「学歴詐称事件」での官房長官の『ウソつきはドロボーのはじまり』発言に対してである。長屋の八ツァン、熊さんなら『テヤンデェ。大ェ概ェにしろ。全体ェお前ェの方にそんなこと言えたギリかよ』と切って捨てるだろう。政府、官僚、それに与党議員たちが、これまでどんなにウソを吐きまくって来たか考えてみるがいい。とこうするうちに「小泉首相の英国留学は単位ゼロ」などと週刊誌が書き立てているから全く笑える。
 ついでに言わせて貰うと、大体官房長官の「記者会見」での、相手を小バカにしたような、あの鼻の先でフンというような話し方は、何とも胸クソ悪くなる。そもそも一体誰に向かって何の為に話しているのか全然判っていないンじゃないか。
 目の前にたむろする記者の耳は国民の耳の代理(代表とは敢えて言わぬ)であり、テレビカメラは目の役目を務めているので、決して顔馴染みの取り巻きと雑談しているのでは無い筈だ。にも拘らず、彼のものの言い方・態度は、どうにも政府を代表して国民に真摯に語りかけようとしているとは思えない。たまに出る質問に対する答え方も、思わず「もっと真面目にやれ!」とテレビに向かってヤジを飛ばしたくなるほどだ。
 片や記者団の方も、相手がたじろぐ位の厳しい質問が出来ないのだろうか。国民の代わりになって、疑問をとことん晴らす、という気概を持って欲しいものだ。
 文句ついでにもう一つ。防衛庁長官も話し方を研究して欲しい。あの、ほんの口先だけでものを言っているような語り口は、その重大な内容にも拘らず相手に対して全然説得力が無い、と言うことを考えたことはないのだろうか。何事にせよ自分の意志をより良く相手に浸透させようと思えば、いい意味での「演出」も不可欠である筈だ。
 言葉を以て相手に対することが必須の立場であれば、より理解を得られ、説得力持つべく、発声法から研究するのがプロというものだろうと思う。
 それに、施政方針演説をはじめ、よろづ原稿の読みっこの国会が象徴的だが、日本の政治家諸君は、よしんば人の書いた文章であるにせよそれが自分に与えられたセリフであれば「暗譜」する気はないのか?
 失礼ながら、いくら髪の毛を黒く染めてみたところで、自ずから表れる年齢とのアンバランスさに失笑を買うのみで、なんのプラスにもならない。その人の人格は、自然に滲み出るものなのだ。姿に接し、声を聞いただけで「ああ、この人には安心してこの国を任せられる」と思える様な「人物」になるべく、(選挙資金や票集めに奔走するのもまあ結構だが)本来の責務である自らを磨く研鑽を怠るべきでは無い、と、一つ自覚して貰いたい。
    ※同名タイトル(その1)は2002年1月に掲載された。 

up.gif

 
 【3】 2004年 3月24日号

Teddy ●ドロボー天国、何とかならんかねェ
 鳥インフルエンザの感染隠し、自動車部品の欠陥頬被り……羊頭狗肉の品質表示、業界談合等々日常茶飯事の感すらあるこれらの現象は、すべて法規制以前の当事者のモラルの問題なのだ。
 政官界の不祥事亦然り。官房長官の宣う「ウソつきは……」に従えば、この世はドロボーが充満していることになる。
 中でも最も許せないのは「税金ドロボー」どもだ。リストラの心配はまったく無く、座っているだけでどんどん一般市民が貢いでくれるボロい商売だと錯覚しているヒトが、その世界には多過ぎるんじゃないか。トンと水戸黄門サンの時代に逆戻りしているようだ。
 昨今は警察までが励んでいる「裏金」作りなる操作も、何とも理解できない感覚。裏金が作れるくらい剰っている予算……なのに剰ったら無理やりに使い切らねばならない単年度予算システムは、年度末毎にお上が率先してお金をドブに捨てているようなもの。そのくせ何かと言うと「予算がない」で済ませられるのは、一般市民がヤリクリ算段して急場を凌いでいるのに比べて、何と優雅であることよ。
 まあこう金利が低くては貯蓄意欲など沸いては来ないご時世ですがネ、貯めろとは言い難いかも知れないが、だったらせめて、使い切れなかった当初予算の「納税者が納得出来る目的外使用」を可能にするとか、次年度に繰越せる様な仕組みに改正することは出来ないものか……ねェ、まったく。
 それなのに、価格表示方法の変更だとか、新札の発行だとか、いやでも民間に莫大な負担が回ってくる「制度変更」は、いとも簡単に決定されている。どうやって対応しろと言うのか? 民間に理不尽な(とあえて言う)負担を強いるなら、せめて各省庁や自治体が、年度末に剰った予算をこの制度切り替えのための補助金としてシモジモに恵んでみたらどうだ。そんな智恵も浮かばないで、いつまでも「浪費」を続けるなんと云う、思考停止状態のオカミにかかっては、末は「日本沈没」しか見えてこない。
 あぁ、嫌だいやだ。


up.gif

 
 【4】 2004年 7月14日号

Teddy ●この一票の軽さ……参院選開票速報に想う
 この欄にもずいぶん長期間ご無沙汰してしまった。これも、このところあまりにも次々にいろいろなことが起こりすぎて、とんと「思考力」も「もの言う気力」もすっかり削がれてしまった……というのが正直なところであった。そうこうするうち、今度は体調を崩して生まれて初めて「入院」の経験をし、やっと回復しかけたと想ったら今度は肋骨を折るというおまけまで付いて、まさに泣きっ面に蜂の状態である。
 そして、世は、小泉施政の雲行きが大分キナ臭くなってきたところでの参議院議員選挙だった。
 なにはともあれ(報いられることのあまりにも少ない行為ながら)選挙権だけは絶対に行使する主義なので、投票日は昼間の仕事を終えてから、投票締め切り時間間近に急いで投票を済ませた。それから自宅に帰り着いて、さて「メシ」にありつこうとして時計を見るとはや8時を告げようとしている。テレビのスィッチを入れると折しも全チャンネル一斉に「参院選開票速報」がまさに始まったところであった。この全チャンネル一斉にというのは、毎度のことながらまことに芸がないと思うが、まあそれは措くとして、実に呆れ果てたのは、公式に開票作業が始まる前であるにもかかわらず、次々に当選確実者が発表されてゆくことである。各局独自の「事前調査」と「出口聞き取り」の結果だそうであるが、仮にも開票が始まる前に「結果」を公表するのは、タネ明かしをしておいてから手品を演じるようなもので、これほど人を小馬鹿にした話はない。
 恰も「お前が投票をした時点では、もう結果は決まっていたんだぞ」と嘲笑われているような強烈な不快感を覚えた。もし、ほんの4〜5分前に票を投じた候補者が「開票前にすでに落選と決まっていた」のだと宣言されたら、誰しも自分の行為は何だったのかというたとえようのない虚しさに襲われるに違いない。大体「選挙」という公の重要行事は、開票された票数と投票総数との勘案から絶対的な当落が確定するまでに「第三者」が軽々に当落を宣言する性格のものだろうか。マスコミが一刻を競い合うの現状に、当事者たちは疑問を感じることがないのだろうか。―― そして型のごとき当選者の選挙事務所からの中継(あの「万歳、バンザイ」は何なのだろう)、「解説者」のしたり顔なコメント……選挙といえども、所詮はいわゆる「マスコミ向きイヴェント」の一つに過ぎないのだ。
 さらに……翌朝の新聞には「自民敗北、民社大躍進」の文字が踊るが、そんなセンセーショナルな結果だったのだろうか。自民党は確かにその時点でホンの僅か議員数を減らしたように見えるが、すぐにどこかから補ってくるだろうし、民主党は野党仲間の社民・共産から議席を奪っただけで、本当の「相手」にダメージを与えたわけではない。数の上の見かけに過ぎないこの結果を「二大政党時代の幕開け」とはどうしても考えられない。これも、ことをドラマティックに仕立て上げねばならないイヴェントの決着のつけ方なのだろう。
 斯くしてまた何年か、救いようのない「一票の軽さ」を感じ続けねばならないのだ。

up.gif

 
 【5】 2004年10月23日号

Teddy ●要は感性の問題(1)……知事と議員(大阪府)の場合
 あまりにも悲惨な、あるいは胸くそ悪い、あるいは馬鹿馬鹿しい、あるいは――名状し難い出来事が、次々に起こると、一々コメントする気力も無くなろうというものである。そんな中、たいした出来事ではないかも知れないが気になることがあって、久しぶりにキーを叩いてみた。
 コトは大阪府知事と府議会のモンダイである。
 太田房江知事が今年8月大阪で催された「全国アマチュアオーケストラフェスティヴァル大阪大会」にソリストとして迎えられ、モーツァルトのピアノ協奏曲を演奏した。演奏後に記者団に感想を求められ『選挙で当選したときよりもうれしい』と語ったことについて、府議会議員が「選挙の当選は、府民の期待と願いが込められた信託の結果で、何よりも重く受け止めなければいけない。それを個人的感情と比較することは不適切で軽率。府民を失望させるような発言は慎んで貰いたい」と噛み付いたのだ。一見正論のようではあるが、これは見当違いの揚げ足取り以外のなにものでもなかろう。選挙民は政治を付託した一票と、人間知事の側面を、短絡的に並列して考えるほど愚かではない。事実、早速新聞には知事を理解し支援する投書も見られた。
 例えば当の議員氏が好きなゴルフで、偶然、狙ってもいないホールインワンが起きたときに、その嬉しさをどう表現するだろうか。知事の演奏は、偶然の産物でもないし、宴席で酔うカラオケのレヴェルとは全く次元が違うのだ。
 彼女がそうまでの歓びの声を上げた心境を、コラム子はいま想像することが出来る。と云うのは――偶々中学生時代の彼女の音楽勉強の手伝いをする機会を持ったが、その鋭い感性と豊かな才能に瞠目する思いだった。彼女自身も将来の進路に音楽家を選びたいと漏らしたことがあったが、その溢れる才気を知っては、「将来に対してはより広い選択肢を持つべき。一般の高校・大学への進路を選び、傍ら音楽は教養としてまた将来の心の糧として大事に育てるが良かろう」と助言せざるを得なかった。そして政官界で活動して長い年月を経た現在の時点でも、その昔の芸術に対する瑞々しい感性と表現手段を維持していたことに、深い敬意を表する。そして公私にわたる精進を続ける彼女が、選挙での当選とは全く異なった状況下での感動に魂を揺さぶられたこと、そして個人に立ち返った瞬間でも尚且つ自分に科せられた職務に関する意識が頭をよぎったことが、充分に察せられる。両者が異質であることを意識の底では理解しつつも、自分自身に向かって人間として発した想い……。
 失礼ながら大方の議員諸氏は、当選することが目的の大部を占め、当選すればその既得権益を次回も確保するために粉骨する……恰も市民個人は「一票」の存在でしかないような認識……。ここで人間知事の感動の根源を理解することなく立派な正論を吐かれるなら、願わくば、「選挙民の皆様」の付託に反する行為を犯した同僚議員や官僚に対しても、徹底的に噛み付いて貰いたいものである。

 芸術を理解し、感動出来る素晴らしい感性をもった首長を戴く大阪府民を、羨ましく思う。

up.gif