●“ラ・シラソ”と“ファファソソ”
しばしば、当今、巷に流れる日本語の発音の変化についてボヤいて来たが、その発音のせいで意味まで変わって受け取れているのではないかと思われる場面にもしばしば直面する。若者言葉のハシリだった「クラブ」は、本来のクラブ(仮に相対的な音程で表してみると=以下同様)“シラソ”に対して“ファファソ”と発音して特定の意味を持たせて区別した(と主張されている)。これは「彼氏」に対する「カレシ」も同様の発音変化である。そして一方で外来語の「ドラマ」も完全に後者風に移行してしまった。外国語の日本式発音は、いっそ「クラブ」と「くらぶ」、「ドラマ」と「どらま」とでも書き分けようか。
で、表題の“ラ・シラソ”と“ファファソソ”は、もうお分かりであろう。然り「ア・カペラ」と「あかぺら」(こちらは非常に日本的で「赤ぺら」と思いたくなる)である。前者は a cappella で、音楽事典によれば『「礼拝堂風に」、「聖堂のために」の意。楽器の伴奏を伴わない合唱曲。厳密には宗教曲。14〜5世紀の世俗曲は器楽伴奏を伴うものが普通であった。云々』とある通り、本来は曲の形態を表す語である。後者は、最近の全国紙M紙音楽欄のK氏による一文に代表されるいつの間にか生まれた定義『アカペラとは無伴奏という意味で、人間の声だけで歌うこと。ソロもあるがハーモニーを聴かせる数人のコーラスが基本。古くから世界に伝わる民族音楽に原点がみられ云々』が主流。いまや演奏の形態としてとらえられ「伴奏の楽器がないからアカペラでやろう」などと、本来は器楽付きの曲を臨時に楽器パート抜きでやってしまうことにもっぱら用いられている。これは、だから「ア・カペラ」ではなくて「あかぺら」なのだ。
折しもテレビ・ニュースが「……現在まだ着工されていない公示が(“ミーミ”。工事“ミレド”だと思うけど)……。……関係する痴呆(“ミソー”? もちろん、地方“ソレー”)の意向も汲んで……」とやっている。多少の発音の変化があったとしても、前後の文章の流れから意味をまあ判断はできるが、いま、仮にテレビ・アナウンサー諸氏が試験官になって、単語(複合語でもなく純粋に単語)の読み上げ〜書き取りテストを実施されたら、恐らく零に近い点しか取れないだろう。原稿の漢字に付けられたフリガナのみを読み上げられても。聞き手は元の字を想像することは不可能なのだ。読み手は何を伝えようとしているのか、甚だ理解に苦しむ場面の連続である。そしてついつい「いつもの話」を持ち出しては周りを苦笑させるのである――「オレの学生時代、『搬送工学』の講義は『美学』から始まったものだった……」。映像や音声を電気信号に変換して先方に送るとき、もっとも心すべきは、対象となるものの「何」を伝えるべきかが正しく理解されているや否やである、というのが担当教授の思想であった……お懐かしや。
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