トゥルガイ・ヒルミとのデュオへの前書き  吉田 文

「ハロー、この近くにおいしいピザ屋さんない?」
「…………?????…………」


 イタリアのお城での講習会、チロル地方なのでドイツ語も通じるし、食べ物も景色も空気もいい避暑地。少し車を飛ばせばスイスも「イタリア本土」も遠くなく、殆どバカンス気分でオルガンの講習会に出かけたのは、昨年の夏。
 前の晩に泊まったミュンヘンのホテルでは、45度ほど傾斜のある地下駐車場に車を入れたものの、馬力がないので「ニンジンちゃん」とあだ名が付いているほどの私のオンボロ車は、翌朝ガレージから出られなくなってしまい、アルプスどころか駐車場も越えられないのかと悲観したのだが、のだが、奇跡的に這い上がってからは勇敢にアルプスも越えてくれ、無事着いたのやれやれ、一安心。
 受け付けを済ませて、さすがに強いイタリアの日が射す中、白いお城の横を、白い土を踏んで(とにかく眩しい!!)お城の隣の(中じゃなくて残念)宿泊施設に行こうとすると……その頃はまだ珍しかったアウディのA6が目の前にズズっと止まって、トッポジ−ジョにそっくりな人が、それでも颯爽と降りてきた。
「ハロー、この近くにおいしいピザ屋さんない?」
「…………?????…………(私)」

 これが私たちの始まりである。

 トッポジージョと高級車とピザとオルガン講習会と、彼の後から車を降りて来てニコニコしている、一目で日本人と判る女の子の組合せに面食らいながらも、私も先程ここに着いたばかりで、あなたと同じ位勝手を知らない、けれども、表通りにエーデルワイスとか何とかいうお店があった様な覚えがある、というようなことを答えた気がするのだが、彼等は「ありがとっ」と言うとすぐにピザ屋さんに向けて去っていってしまった。

 夕食の席で、又、トッポジージョはいた。
 「あそこのピザ、美味しかったよ、ワインもいいのがある。今度一緒に行こう」
(その後、私たちは講習会の間、エーデルワイスの常連客となった)

トッポジージョも日本の女の子もオルガンを弾くのかと思ったのだが、話をしているうちに、講習会の一環としてコンサートで演奏されるオルガン協奏曲のオケのメンバーとして来ていることなどが判ってきた。
トッポジージョはニュルンベルグのホルン吹き、女の子は私と同い年のファゴット奏者で、トッポジージョとは面識がなかったけれど、ニュルンベルグから遠くないヴュルツブルグに住んでいるので、一緒に乗せてもらったことなどを説明してくれた。それも岡崎出身の愛知県芸卒なので共通の知り合いが何人かおり、何で又、こんなイタリアの田舎城でっっとひっくり返りそうになったけれど、アツコちゃんもそう思ったと思う。

私は講習を受けに来ている身なので、彼らと会うのは食事の時だけである。それでも受講者の半分はイタリア語しか話せないイタリア人ばかりなので、ドイツ語や日本語を喋っても理解してくれる人間がいるのは有り難かった。唯一、トッポジージョのケッタイな点は、「胃の調子が悪い」などと言って、朝はイタリアのおいしいミルクコーヒーを飲まずにクサイ薬草茶を飲む癖に、夜はかなりの量のワインと食事を闊達に摂取なさっていらしたことである。

aya & hilmi そのうち、少しずつ、エーデルワイスとお城の食堂の合間で、トッポジージョの身元も判明してきた。(得体が知れなくなってきた、と言った方が正しいかも知れない。)
本職はホルン吹きで、ホルン一本担いで世界中を周っていること。
(わぁ、羨ましい)
でも、アルプホルンも吹けること。
(ジョーロもホースも吹けると言っていた)
ちょっと、珍しい名前を持っていること。
(咄嗟には覚えられなかった)
本当は(当時プロデュースしていた)オペラの仕事がむっちゃくちゃに忙しくて「こんな事」している余裕はないのに、一番仲の良いトランペットから頼まれて来てしまったこと。
(何故ホルニストがプロデューサーなの?)
デュッセルドルフ(私が住んでいるケルンからそう遠くない)にある航空会社の役員もしているので飛行機のチケット、安く買えるよとのこと。
(えっっ???)
ドイツ語も喋るけれど「キプロス」という地中海の島の出身なので、トルコ語と英語が母国語だということ。
(キプロスってどこだっけ?)
始めて覚えたトルコ語の「乾杯(シェレフェ!)」とお喋りの合間に、普通の音楽家という枠には納まらない、極めてユニークな存在が見えてきた。

「オルガンとホルン」のデュオを試してみたい、と言い出したのは、勿論私である。あまりにも偉い人だと思ったので、遠慮しながらではあったが。
案の定、「僕のコンサートは高いよ」と振られてしまった。(「けちっ!!」)
でも、家に一曲、前から弾いてみたかったとても綺麗なオルガンとホルンの曲がある、そしてオルガンとは彼にとっても未開拓の分野なので、やっぱり興味がある、講習会の帰りに(どうせ通り道にある)ニュルンベルグに来ないかと言われ、私もヒョコヒョコ寄ってしまったのが、お互い運の尽き、その弾みの弾みくらいで本当にデュオを組んでコンサートをするまでになってしまった。

ホルンとオルガンの組み合わせは、私もそれまでは聴いたことがなかったので、想像もつかなかったのだが、合わせて見ると、「かなりイケルじゃん!!」とでも言ってみたくなる刺激がある。ホルンがこんなにパワーがあって、尚且つ暖かい響きをもった楽器だとも知らなかったが(アヤ、勉強不足の巻)、丁度、オルガン高音部の「キラキラ」の響きに対しては底辺となり、「ズワン」の重厚な音に対しては張りと輝きのある声部となるので、高音部の音色が同化してしまいがちなトランペットとオルガンと比べても、お互いの響きを補うかたちとなるように思う。(勿論オルガンとトランペットのコンビネーションも、とても魅惑的!)

そして、以来数回、ケルンとニュルンベルグを行き来しながら、選曲と練習をした。どうも、鍵盤楽器と吹奏楽器では根本的に解釈の違う記号も多く、かなりけんか腰であーだこーだと議論することもあった。
しかし、「この曲合わせるの、凄く楽しみにしながら練習していた」と言われたときは、練習することが大嫌いな私は本当に考えさせられたし、「楽しんで君の音楽を創ったら? 楽しまなければいい音楽はできないよ。」の言葉では、そう言えばオルガンを始めた12年前のこの時期も、自分なりの良い音楽を人生の中で見つけたいと思っていた、当たり前のことを、私の音楽のパートナーは思い出させてくれた。

そして、今年の6月に、キプロスに帰っていた彼から急に電話がかかってきた。
「この週末、キプロスに来れない??」
いつも、突拍子もないことを聞く人間である。
別に、そんな仲ではないんだけどなぁ、とは思ったが、彼が言うにはコンサートが週末にあるのにピアニストが弾けなくなってしまい、代理を探しているのだが見つからなくて困っている、と。何度か合わせてみた、あまり難しくない曲がプログラムだったことと、コンサート後は2日間のバカンス付き、というご招待はあまりにも魅力的すぎた。

彼からの話では聞いていたが、キプロスという島は本当に美しかった。
旅行記を書く場ではないので、どれ程美しかったかということは省略するが、自然はともかく、歴史、文化、食事(とても重要!!)、全てに魅了された。しかし、何故ここまで「魅了」されたかと思うと、そこに生活している「人」がいいのである。
政治上の問題は大きいにしろ、北キプロスの人は、自分たちの島を愛し、誇りに思い、何よりもこの恵まれた島で「生きること」を楽しんでいた。つい20年程前に、キプロス島のトルコ系民族全体が虐殺されそうになった記憶もあるのだろう。島で生活することを感謝しながら、楽しんでいるのだ。

ここで何となく、得体の知れなかった彼という人間が、少し判ったような気がした。
練習をするのも、ピザを食べるのも、コンサートを弾くのも、見えっ張りなのも、生きていくことを味わい、楽しもうとしているからなのだろう。だから、あんなにおおらかなんだ。仕事とオルガンに振り回されそうになっている日本人の私には、斬新な見解であった。

しかし、以来、「ハロー、おいしいピザ屋さんない?」の関係は「この辺おいしいお店ない?」にとって代わられたものの、全く途絶えていない。
講習会後にアツコちゃんが送ってくれた写真を見ると、誰かが写っていない写真はあってもワインの写っていない写真はない程であった。
それに加え、彼は前世日本人だったのではないかと思われる程、お寿司が好きなことを発見した。10年住んでいるケルンで私の知っている日本料理屋さんは一軒しか無かったのに、彼が練習に寄る様になってからというもの、数ヶ月の間に殆どのお店を制覇してしまった。トッポジージョは、カリフォルニアロールや松寿司定食(おみそ汁付き)に囲まれると、溶けてしまいそうな顔つきになる。
日本での、これからのコンサートはとても楽しみなのだが、ズボンを新調する覚悟もしなければならない。