中岡秀彦/中岡祐子 エッセイ集

【210】 『無限音階 その2』  2014. 9.15

(前回の続き)
更に、例のサイトでは、耳の錯覚を効果的にする為に、音の連続を二つで一旦止めています。上昇する二つの音を聴かされた後、すぐ止められると、その空白の時間に、人は勝手に次も同じように上昇する二つの音が鳴るだろうと思い込みをしてしまう、のではないでしょうか?
もう一度楽譜を見て下さい。二つの音を「ミ→ファ」とします。サイトのように繋げるなら次は「ファ→ソ」となります。何も問題ないです。
では、高音は聴き取りにくい、という現象から考えてみます。ある人が、この楽譜上の「ラ」から上の音が聴き取りにくいとします。その人は「ド」から「ソ」までは赤い線のように聞きます。しかし「ファ→ソ」まで来て一旦止められると、上で説明したように「ソ→ラ」の時、実際は「ラ」は実線のように下がった音を聞いているのに、錯覚で点線の「ラ」を聞いている感覚になります。次に「ラ→シ」が鳴った時は、実際には実線の「ラ→シ」を聞いているのです。あとは同じ現象の繰り返しです。

楽譜

さて、クラシック音楽の中には、「この部分は聴衆は錯覚するだろう」という事を考えて作られているような部分があります。

楽器の音は低音になればなる程、隣同士の音の差は分かりづらくなっています。
ある作曲家は、ピアノの低い(鍵盤で言えば左端に近い)音域で「ソ」のオクターヴが欲しかったのですが、下の「ソ」はピアノにありません。一般のピアノでは鍵盤の左端は「ラ」なのです。そこで彼は、「ソ」の代わりに仕方なく一つ上の音である「ラ」を使ったのです。
ですから、そこを演奏すると「ソ」と「ラ」が同時に鳴っているのですが、濁る事もなく「ソ」のオクターヴに聞こえるのです。勿論、その曲はそこまでにその音を含んだテーマが何度も出ていて、聴く側はすぐにテーマだと分かるため、先入観で聴こうとし、また演奏者側から言えばきちんと考えて演奏するので濁る事もなく、また「ラ」にも聞こえず「ソ」に聞こえるのです。
また別の作曲家は、作品の大変速い部分で、自身の〈音楽的要求は満たしたいがどうやっても演奏不可能〉といえるような箇所では、音符を幾つか省いているが聴衆にはあたかも全ての音が鳴っているように聞こえる、といった音符の置き方をしている事もあるのです。
探したら限りがありません。楽譜を読む立場から言わせて頂くと、「記譜の魔術師」とでも呼びたくなるくらい、マジックのような音を配置する作曲家もいます。そんな楽譜に出会った時は、読み解くのが推理小説のようで、自分で解決出来た(と思われる)時は、自己満足かも知れませんがとても充実した気持ちになるものです。 
〔完〕    ( H. N. )

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