中岡秀彦/中岡祐子 エッセイ集

【155】 『不思議な縁 その3』  2011. 4.26

1……思い切って引退させてもらいました。あそこは他の方に譲る事にしました。

と非常に丁寧なお便りが届いた。オーナーと語り合ったあのペンションの “ 談話スペース ” が懐かしく思えた。もうあのペンションに泊まってもオーナーには会えない……、一抹の寂しさがあった。
それから数年間は年賀状だけのやり取りが続いていた。

お久しぶりでございます。○○でございます。

昨年末、突然その方から電話があった。
懐かしい優しい声が受話器から聞こえた。「あ〜!」と言ったまま、余りの懐かしさに次の言葉が出なかった。

話を聞くと、教室に通って趣味で歌を習っていた頃、だんだんのめり込むようになり、音大の声楽科出身の方にヴォイストレーナーをお願いするようになった。そのうちに、毎年開催されるある歌謡音楽祭に参加するようになり、いくらか「賞」まで頂くようになった。そして、勉強を重ね、遂には某レコード会社の歌謡教室の認定講師の資格迄取ることが出来た、というのだ。
元来、とてもまじめできちんとした方で、何でもコツコツする努力家の方ではあったが、ここまでやってしまうとは……。驚くとともに感心してしまった。
そして更に、《地元には長い間病気で苦しみながら入院しているお年寄りが大勢居るので、その病院や福祉施設を慰問し、自分のやってきた【歌】を生かして、すこしでも心の支えになる事が出来たら……》という思いがある、との事。ただ、訪問先にピアノが置いてあるとは限らない。だから、その為に伴奏の「音源」を作って頂けないか、というのが、今回の話の始まりだった訳だ。
電話から数週間後……
その方は我が家のピアノ室で伴奏合わせをしていた。長野県を朝早く出発し、片道6時間以上の道のりを楽譜を携えてわざわざ入らして下さったのだ。合わせをしてみると「玄人はだしの腕前」に驚いた。74才とはとても思えない朗々とした声、よくコントロールされた長いブレス、そして美しい日本語に感心しきり、、、だった。熱心と日頃の努力の積み重ねというのは、こんなにも人を成長させるのだと改めて敬服した。色々とチェックしながら合わせた後は、お茶を囲んで懐かしい話に花が咲いた。

その方が帰られてから、チェックした事を確認しながらの練習が始まった。日頃の声楽家の方との合わせとは異なるため、顔が見えなくても合わせ易いように少しの工夫を凝らしつつ録音、それと並行して『伴奏合わせのヒント』のレジュメを書く、という日々が続いた。選んでいらした作品は、どれも日本歌曲の名曲ばかりだった。過去に演奏したり勉強した事のある曲でも、今回『録音する』という作業を通して大変勉強になったようだ。
全15曲のピアノパートの録音は遂に完成し、それらをCDに焼き(デザインや装丁は僕が担当!)、郵送する事が出来た。その後、丁重なお手紙を頂き、「私だけの為の素晴らしい音源を作って頂き天にも昇る気持ちです。練習がより楽しくなりました」と、とても喜んで頂けたようだった。

もし、学生時代に他のスキー場に通っていたら‥‥、
結婚後、あのペンションに再び行かなかったら‥‥、
夜遅くに “ 談話スペース ” でオセロをしていなかったら‥‥、

様々な偶然が重なり、今回の話が生まれた。人と人との 【縁】 は本当に不思議なものだと強く感じる数ヶ月だった。

因みに今回録音した曲は、
この道、椰子の実、朧月夜、待ちぼうけ、城ヶ島の雨、
浜千鳥、からたちの花、早春賦、初恋、花、
荒城の月、宵待草、浜辺の歌、砂山、赤とんぼ、
でした(曲順も希望通り)。
(完)

(H. N.)

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