中岡秀彦/中岡祐子 エッセイ集

【127】 『東西南北』  2010. 2. 15

ここ数年、小さな町や村の合併吸収が、よく聞かれます。役所の合理化と経費削減の旗が振られるようになって久しいです。お蕎麦の美味しい私の好きな村、長野県戸隠村も長野市に吸収され、“村” という文字が消えました。つい最近では、愛知県のトヨタ自動車のおひざ元、三好町が市になるにあたり、本来ならその名を残して三好市(みよしし)になるべきところ、同じ名前が徳島県にあるからダメとクレームがつきました。住民の希望叶わず “みよし市” と、残念にも漢字がなくなってしまいました。

地名やその漢字には人の名と同じように、その土地の歴史的背景やその土地に住む人たちの先祖代々の由来があるはず。それを合理化の名のもとに、「○○町+○○町+○○町は合併により本日から北△△市になりました」という横暴が進んでいるのはさみしく思います。

ところで、ある小説家の方が最近、東京都から京都市に引っ越したそうです。京都の役所で転入届を提出する際、窓口の係の方が「新しく転入ですね? え〜っと東京から。はい、地方からの転入ですね?」と確認したそうです(^−^)
その小説家も、東京から引っ越してまさか「地方から」と言われるとは予測していなくて思わず笑ってしまったけれど、よーく考えれば「なるほど、京都の人は、ここが都(みやこ)だったという誇りを持っているのだな・・・」と気がついて、納得したのだそうです。今でこそ東京行きの列車や道路が皆 “のぼり” と言われていますが、振り返れば1,000年もの間、京の都が日本の中心だったのですよね。

私の知人に旧保谷市の住所で合併で表記が変わった人がいますが、その住所は「西東京市北町・・・」 京の都より東だけど西だけど北で・・・と、“東西南北” がいっぱい入っている?けど住所の由来がわかりません!
(Y. N.)

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