中岡秀彦/中岡祐子 エッセイ集

【86】 『芸の無い芸人』  2008.2.13

 今回は再び、世間に対する厳しいコメント、と言っても年末にTVを見て感じたことです。


 最近の若い芸人サン(当人は漫才師とか、コメディアンとか考えている)は『自分の芸』が無い人が多い。この数年ずっとその傾向が続いている。俗に言うお笑い芸人と呼ばれる人たちである。彼らの傾向を見てみると……

 1つ目、彼らには話術がない。一人でやろうが二人でやろうが、じっくりその芸(話)を味わっていけば、自然に話しの内容も理解でき面白くなるはずだが、いくら聴いていても見ていても面白くない。いかんせん最近の芸人には、そのじっくり聞かせるだけの話術がないのだ。自分独自の話術を取得するのには相当な年月がかかる。それには忍耐も必要だ。しかし彼らは話芸を習得する前に人気を取ろうとする(いや、売れようとする!)。ひょっとしたら彼らは話芸そのものを知らないのかもしれない。そしてその彼らの人気取りの手段は、奇抜な格好であり一発芸である。それは芸ではない。悲しいかな、そこで聞こえる笑いは本物の芸に接した時に出る笑いではなく、悲しい空虚感をともなっている笑いだという事に、当の本人が全く気付いていない。

 そして2つ目、彼らには品が無い。話の内容が、他人の悪口であったり裏話であったり……。話題となっているタレントの事をよく知らなければ全く面白くない、というより話の内容が分からない。

 昨年末、昭和の時代に活躍した《本物の芸人》による漫才や落語などもTVで放送されたので見ていたが、白黒の画面の中で演じられる彼らの芸は、前知識なしで見ているのにも拘らず抱腹絶倒した。それどころか、落語などは、話が分かっているのにもかかわらず可笑しくて仕方がなかった。


 本物の芸とはこういう普遍的なものでなくてはならないし、いつの時代でも新鮮さがあるものだ。本物の芸で売れた芸人は息が長いが、そうでない場合は、またたく間に消えていく。毎年、年末近くになるとTVに顔を出していたお笑い芸人が翌年は姿をみせなくなる、こんな事が当分続くのだろうか。

(H. N. )

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