中岡秀彦/中岡祐子 エッセイ集

【79】 『緊張と、どう付き合うか 全3回 その1』  2007.10.10

 《人は今までに体験したことの無い場面に遭遇すると緊張する》

 これはある冬季オリンピックのバイアスロンの選手が言った言葉である。予期しない事が起こると対処方法が分からず慌てる。時間だけはどんどん過ぎていき、大勢の人には見られている、どうしていいか分からなくなりパニックになる、と言うわけだ。

 これはそのまま音楽、特にここでは同時に多くの音を出しているピアノに置き換えることが出来る。そうすると緊張してパニックになるメカニズムが分かる。

 《人は今までに聴いた事の無い音に遭遇すると緊張する》
 この場合、「聴いた事の無い音」は間違えて弾いた音のことではない。きちんといつも弾いている音なのだ。ではどういう事か?
 普段弾いている音の中には、何気なく弾いていて本当は聴いていない音も少なからずあるもの。実は、人は緊張すると始めて聴こえてくる音があるのだ。ただし、この場合の緊張は後で述べるが「悪い緊張」である。そのおかげで、普段あまり聴いていなかった音が急によく聞こえだし、それがまた悪い緊張を生み出すのだ。正に悪の連鎖が起こる。これがパニックであり、「あがっている」状態なのだ。
 これをなくすのには前もって「良い緊張」状態での集中した練習を積み、『聴いたことの無い音を無くす』しかないのだ。

 今回から3回連続で、そんな【緊張】や【あがる】という事を考えてみようと思う。

 人前で何かをする人で緊張しない人はいない。あがる人もいる。僕も以前は、よく「あがった」ものだ。最近は、緊張はするがあがる事はあまり無くなった。
 僕は【緊張】と【あがる】とは違うものだと考えている。だからあえて言葉を使い分けることにする。
 冒頭の文中で「パニックになる」という件(くだり)があるが、これは緊張ではなく、「あがっている状態」なのである。

 やや難しい話しに入るが、【緊張】には2種類あると考えている。

 【良い緊張】…自分で意識的に作った緊張で【集中力】を生み出す。
 【悪い緊張】…知らぬ間にうっかり出来てしまった緊張で【あがる】状態に陥る。

 ではどうやって自分を「良い緊張」状態にもっていくか?そんなに難しいことではない。その基本は

【本番のとおりの行動をし、気持ちを持つ事】
なのだ。

 次から、本番のように通し練習をする際の色々な方法を述べるが、その前提条件として、『悔いのない所までよく練習する事』という項目を付け加えることは言うまでもない。そこからしか生まれない『自信』は演奏の根源であるからだ。

★自分を緊張させる方法

(1) イメージトレーニング

 『お客さんが会場にいて、ステージの上は明るい照明で照らされている』  こんなイメージの映像を自宅での通し練習の前に持つ。それから少しでもいいから歩いてお辞儀をして椅子の高さを確認し、ペダルも1度か2度軽く踏んでみる。最初のテンポなどをイメージして本番のつもりで演奏開始、という具合。これだけでも何気なく弾きだすよりはるかに緊張する。
 そしてここでは録音する事を勧める。開始前にMD等の録音をスタートさせ、それから上記のイメージを持ってから演奏するのだ。長い曲などを演奏する場合、途中で失敗した箇所を演奏後まで覚えていられない。後でその部分をチェックするのに便利。それに『自分は、こう弾いているつもりでも実際には、違って聞こえる』というようなところも発見できる。

(2) 椅子の高さ…大事だが意外に忘れがち

 椅子は大概自分の高さに合っているものだが、上の(1)をする時は椅子を一番下か上にセットしておく。そして自分で高さを合わせてから演奏する。緊張した時は、椅子の高さもわからなくなる。『これで丁度よい』 と思って弾き始めたら、『少し高かった』 とか、『低すぎた』 とかなるもの。それでも演奏を止めない事。本番で、もしそうなっても止める訳にはいかないから。その時こそ、緊張状態で椅子の高さが合わない時の練習になる。数曲演奏する場合は、1曲目の後、高さを調整し直せば良い。
 もう1つ、自分の癖を覚えれば良い。つまり調整して『丁度よい』 と思ってから少し下げる(上げる)と、自分にとって『本当に丁度よい』状態になるんだな、という感じで。(以前、僕は背付きの椅子では、丁度よい高さにしてから、ストッパー1つ分下げて本当に丁度よかった経験がある。)  背付きの椅子に関してよくある間違いは、自分の高さを『ストッパーの位置の、上から何段目』と決める人がいる事だ。これは無駄。まず、椅子はメーカーによって微妙に違う。もう1つ、ピアノの床から鍵盤までの高さもメーカーによって少し違いがある。更に自宅のピアノには、足のローラーの下に丸い皿があるが、会場のピアノにはそれが無い、皿の深さもまちまち。だから椅子は、一度座って必ず高さを確認するべきである。
 椅子の前後の位置もしっかり確認する。座った時の鍵盤全体の見え方や、ペダルを踏んだときの感触、或は手を実際においてその感覚を覚えるようにする事も必要だ。

次回へ続く。(H. N. )

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