中岡秀彦/中岡祐子 エッセイ集

【56】 『おじいさんですよ、……』    2006.11.11

 玄関のチャイムが鳴る。インターホンの受話器を取り「はい」と応答する。しかしモニターには誰も映っていない。
「おじいさんですよ、今日はね、おいしいピーマンに茄子、それにトマトがあるが、どうかね?」
 受話器越しにしわがれた声が聞こえる。近所に住んでいる、通称『おじいさん』だ。80歳をとっくに過ぎているその『おじいさん』の名前を僕は知らない。何せ『おじいさん』なのだから! 腰が90度近く曲がったそのおじいさんはモニターには映らない。元気な声だけが聞こえる。近所に畑を持つお百姓さんなのだ。そして季節を問わず旬の野菜をその日の朝早く収穫し、自転車の籠いっぱいにつめて、この近所を回っているのだ。形も大きさも不揃いだが無農薬でおいしい。トマトは昔ながらのやや青臭い味がするし、胡瓜も中が少し《ヌルッ》としていてスーパーの物とは食感が違う。

 そのおじいさんが今朝もやって来たのだ。最近は、よく冬瓜を分けて頂いている。

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↑ 冬瓜 弐百円 似てる?
さつまいも 壱百円 →
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 ある朝、出勤途中に、自転車を停めて一休みしているおじいさんを見掛けた。そう言えば今朝は我が家にはまだ来ていない。  
「おはようございます!これからウチにも来ますか?」
と尋ねたらニコニコしてお茶を飲みながら、
「わしゃ−、あんたが何処の家の人かは、分からんがねぇ〜」
 なるほど、そうか……! おじいさんは僕の顔を余り見たことがない。腰の曲がったおじいさんは僕の声といつも百円玉を載せて差し出す右の手の平しか見たことが無いのだ。一瞬『クスッ』と笑ってしまった。

 いつまでも元気でおいしい野菜を作ってください。
 明日も来るかな?
『おじいさんですよ、今日はね、……』
(H. N.)

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