中岡秀彦/中岡祐子 エッセイ集

【30】 『リートに字幕?』    2006.2.14

 世界的歌手のドイツリート“冬の旅”のコンサートに行った時、ちょっとショックだったことがありました。それは、ステージ上手に巨大な黒い電光掲示板が設置されたことです。
 初めは各曲のタイトルが出るのかな?と思ったのですが、リアルタイムで歌詞の翻訳が白い光で明るく照らし出されました。フレーズごとに同時通訳のように切り替わるので、暗い、美しい静かな空間が雰囲気悪くけたたましくなってしまったのです。

 嫌が上でも視界に入ってしまうため、辛くなって目をつぶったりもしましたが、目をつぶると歌い手のわずかな表情の変化も見逃してしまうので、ずっとつぶるわけにもいかず……。字幕が消えるのは、曲間と、ピアノの間奏、後奏時。歌い手の声が出ている間中、傍らで対訳がブレスに合わせて、ギラギラ光っているという訳です。静かなアンコール1曲だけが、“テロップなしで”心静かに聴くことが出来たのでした。

 あとで主催者に尋ねたところ、「お客様のニーズに合わせ、出したほうが意味がわかって良いので出しております。出す以上見易いように、出来るだけ明るく大きく設定しております。オペラと同じくサービスの一環ですよ。」と言う答え。
 ???、舞台芸術への「美意識」は何処に……?

 もちろん字幕を支持される方もあると思いますし、リートは詩が命ですから、意味がわかった方がいいというのはよく分かります。でも、せっかくの美しい舞台の景観を大きく乱すような形での表示は、ある意味暴力的にも感じられて、とても残念でした。生ですからテレビのように、嫌ならスイッチを切るという具合にいきません。もう少しさり気なく品の良い出し方は無かったのでしょうか。

 演奏後の拍手のタイミングや質から見ても、当日の観客はとてもレベルが高かったように感じましたから、あんな“巨大な字幕”が無くっても、「字幕が無いから音楽が楽しめなかった」なんて、誰も言わないような気もしました。
 聴き手の価値観にも多様性があると思います。“見たい”人にも“聴きたい人”にも心地よい方法が、あるといいですね。

(Y. N.)

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