中岡秀彦/中岡祐子 エッセイ集

【6】 『こんにちは!』    2005.7.1

 これは、以前、I 君の事を書いた『エッセィ その2 "ある学生…勤務先にて"』の続編である。 
  
 その後僕は、I 君が特に何かをしている時以外は、時々声をかけるようになった。と言っても、 
「I 君、おはよう。」−「おはようございます。」くらいだが。

 勿論、盲学校を卒業して一般大学に進学している彼からは、僕を見つけて声をかけてくることは出来ない。もっぱら声をかけていたのは僕の方からだった。

 今日もまた、レッスンの合間にいつものように自分の部屋を出ると、I 君が廊下の椅子に座っていたので声をかけようとした。が、ちょうど昼時だったこともあって、彼は腰掛けて食事をしていた。食べているのに悪いかなと思い、声をかけるのをちょっと躊躇って、無言で足早に彼の前を通り過ぎようとした。

 「こんにちは!」

 I 君が突然僕に挨拶した。驚いた。廊下にはレッスン室の同じようなドアがたくさん並んでいる。その中にあって彼は、僕が部屋のドアを閉める音、ガチャガチャと鍵をかける音、その部屋の位置、歩き出すタイミング、足音、(他にもあるかもしれないが……)、それらから僕だと分かったのだろう。身近に彼のような視覚にハンディを持つ人がいない僕にとっては、驚きだった。
 彼にとっては当たり前の事だろうが、「凄い耳だな!」、と感心した。僕の顔を見分けたのではなく、僕の足音を聞き分けて「こんにちは!」と声をかけてくれたのだ。音をよく聞きわける職業の僕にとっても真似の出来ない事だと思った。

 脱帽!

(H. N.)

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