中岡秀彦/中岡祐子 エッセイ集

【20】 『ムール貝の紳士』    2005.10.11

 私達が滞在したホテルから、歩いて20秒もかからない所に、毎日地元の人で一杯のトラットリア“マウリツィオ”がありました。(トラットリアは、リストランテより小さめで、気楽に入れる料理店です。)部屋のバルコニーからもよく見え、厨房からは忙しくお皿の触れ合う音や、時折風に乗ってオリーブオイルやガーリックのいい香りも運ばれて来ました。
 帰国前夜、そのお店に食べに行きました。練習の行き帰りに毎日必ずそのお店の前を通りかかってはいたのですが、朝だとまだ開いていなくて、午後だと昼休み、夜だといつも満席だったのです。夜中12時過ぎまで賑わっていて、人が途切れることがありませんでした。その日はまだ早く7時半頃だったためか、オープンテラスの席が空いていてすぐに座ることが出来ました。

 イタリア語には少しだけ慣れたせいか、来た時よりはメニューが若干判る様になって来ました。この日は、アックア・ミネラーレ・ガッサータ メッツォ・リトロ(ガス入りの水、2分の1lt.)、バカラ・フィオリ・ディ・ズッカ(カボチャの花の天婦羅のようなもの)、ピッツァ・カプリチォーソ(気まぐれピッツァ)、リゾ・フンギ・ポルチーニ(ポルチーニ茸のリゾット)を注文しました。デザートには、ココメロ(西瓜)とエスプレッソ。全部で22ユーロ(2人分で)と、美味しい上にとっても安かった。(流行っているのも納得。)

 さて、私達が食べている時、すぐ近くの席に、地元の人らしき50〜60代の紳士が一人で座りました。暫くして前菜の次に彼のテーブルに運ばれてきたのは、ムール貝のガーリックソテーでした。それもとっても大きなお皿に山盛り。日本だったら4,5人でつまんでもよさそうな量でしたから、他人事ながら「独りで全部食べるのかなぁ……」なんて思って、さりげなく観察してしまいました。

 食べている様子は、その方が後ろ向きだったので直接は見えませんでしたが、大きな背中越しに、フォークとナイフを大変器用に操って殻から中身をはずし、口に運んでいるらしいことがわかりました。彼の肩と肘の細かい動き、そして何より大変規則正しく聞こえてくる、“カポッ”“ポコッ”という音から、容易に想像できたからです。
 その音は、空になった貝の殻を次々に左側のお皿に積んでいく音でした。ほとんど正確に5〜6秒ごとに聞こえてきました。1つ食べては“カポッ”、もう1つ食べては“ポコッ”……。休むことなく続くその心地よい音…、隣で食べている私達まで大変楽しくなりました。
 見る見るうちに、サッカーボール1つ分ほどに黒い殻が積み上がり、ムール貝は終了! その方が食事を終えて立ち去ったあと、あまりの見事さに、私達は笑いが止まりませんでした。
 よっぽど、貝の好きな方だったんでしょうね。

(Y. N.)

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