中岡秀彦/中岡祐子 エッセイ集

【2】 『ある学生…勤務先にて』    2005.6.3

 勤務先の大学で、今年の4月から、僕の部屋の近くの廊下の長椅子に、ある学生が座っているのをよく見掛けるようになった。見ると白い杖を持っている。彼は毎週決まった時間にそこにいるので(僕も毎週決まった時間にそこを通る!)暗譜の苦手な僕の頭でさえ、彼の顔がしっかりと刻まれるまで、さほど時間はかからなかった。

 ある日、いつものように彼を見かけた。が、何か様子がおかしい。見ると必死で鞄の中の何かを探しているようだった。しばらく様子を見ていたが、もう授業が始まるからか立ち上がってエレベーターの方に向かって歩き出した。
 と、その時僕は、彼の座っていた椅子とほんの数メ−トル離れた全く同じ形の椅子の上に、紐で閉じられた真っ白な点字の本を見つけた。(彼のものだ!)急いで追い掛けて手渡した。
 「あっ、そうです。ありがとうございます。」
 簡単にさっぱりと返事を言って、彼はエレベーターの中に消えて行った。
 さて、こんな体験を、僕の教え子で、ある盲学校で教鞭をとっているKさんに話すと、
 「その学生、もしかするとI 君かも知れません、今年その大学に進学しましたから…」
という驚くような答えが返ってきた。

 翌週、また彼に会った。
 「君は、ひょっとしてI 君?」
 「そうです」
 知らない人から名前を呼ばれても別に驚く訳でもなく簡素な返事。そこで、先週からの経緯を話すと
 「はい、僕はそこの卒業生です。今度その先生に会われたら、『僕が頑張ってる』、って伝えて下さい。」
 彼の声に少しばかり力が入った。
 周りの多くの人々、また先生方からたくさんの愛情を注がれてここまで来たI 君! 早速そのKさんにメールで、彼とのやりとりを伝えた。Kさんから、
 「やはりI君でしたか! I 君と関わりのあったほかの先生方にも是非伝えておきますね!」
 僕は、自分の心が温かくなるのを感じた。 

(H. N.)

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