中岡秀彦/中岡祐子 エッセイ集

【19】 『エステ荘の噴水』    2005.10.4

 ローマから北東へ、地下鉄と市バスを乗り継いで一時間ちょっとの近郊に、ティヴォリ(Tivoli)という小さな町があります。マネージャーのエデ氏が、「ピアニストには必見の場所だから」と、演奏会の数日後に案内してくれました。古代には皇帝や貴族の保養地があった所です。
 途中、“トラヴェルティーノ”という石の採掘場を通りました。バスの窓からは巨大な石切り場が何箇所も見えました。 “トラヴェルティーノ”は、古代から建築物にたくさん使われてきた美しい石を指します。コロッセオや私達の演奏会場だったマルチェロ劇場もその石で出来ていました。(余談ですが、ローマ市内の地下鉄には、“アルコ・ディ・トラヴェルティーノ Arco di Travertino”トラヴェルティーノのアーチという名前の駅もあります。)

エステ荘の噴水  そのティヴォリの、ヴィラ・デステ( Villa d'Este ) という美しい噴水の庭園を訪れました。そう、あのフランツ・リストの晩年のピアノ曲、巡礼の年報第3年の 「エステ荘の噴水」が、書かれた場所だったのです。
 僧侶となってワイマールを出たリストは、この庭園の一番高台にある部屋に住み、その窓から、毎日広大な噴水の庭を見下ろして作曲をしていたそうです。この建物と庭園はもとは修道院だったのを,エステ家のイッポリト枢機卿( Ippolito d'Este )が豪華な別荘に改築し,美しい庭園がつくられました。1550年着工、という事は?―― J. S. バッハより更にずっと古い、パレストリーナの時代ということになりますね。昔の人は、粋なことをして楽しんでいたんですねぇ。
 
エステ荘の噴水  庭園は,急な斜面を利用して作られていました。何故かと言えば、すべての噴水がモーターのような動力を用いず,水が上から下へ落下するときに生ずる、自然の水圧だけで噴き上げられる様に考案されたからだそうです。当時コンペを行って人が驚くような設計を競わせた、と聞きましたが、今でも斬新で、本当に驚いてしまいます。

 私達3人は10時半少し前にエステ荘に着いたので、朝10時半に始まる 「水オルガンの噴水」を体験することが出来ました。ヨーロッパ各地でよく見かけるものに、手回しオルガンや自動ロールピアノがありますが、その動力が水によるという仕掛けです。水の圧力でロールが回転してパイプオルガンが自動演奏され、それと同時にオルガンのすぐ前の噴水も水を噴出す仕組みになっていました。

エステ荘の噴水  他にも庭園内は、「100の噴水」「大グラスの噴水」「卵形の噴水」「バッカスの噴水」「梟と小鳥の噴水」「ネプチューンの噴水」「ドラゴンの噴水」等々、ユニークな噴水ばかり。一時も飽きさせないようになっていました。
 上を見ても下を見ても、右を見ても左を見てもまさに噴水、噴水・・・・。勢いよく真上に10数メートルまっすぐに噴出す噴水、滝のように幅広い流れを作り出している噴水、大きく空中に向かってアーチを描いている噴水等、どれを見ても圧倒させられるばかりでした。

 これだけ美しい噴水庭園を毎日眺めていたリスト、おおいに作曲のインスピレーションが沸いたであろう事は、容易に想像できました。

(H. N. & Y. N.)

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