金澤 攝
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○アントン・ルビンシテイン 「冬の時代」前編・後編
作曲家の生涯を一望する時 その創作史を四季に準えて考えることができる。即ち春・夏・秋・冬の四区分である。大抵の作曲家は自ずと各「季節」に振り分けができるもので、こうして見ることでその一生のラインナップが明確に浮上する。 思えば1982年――二回り前の戌歳――2月は私が初めてルンデで演奏を行った。そのプログラムの最後がルビンシテインの「六つの練習曲Op.23」であったことが、その後のルンデとの関わりを決定づけたように思う。今回のルンデにおける締め括りコンサートがやはりルビンシテインとなったことは必然的な帰結と思われる。 1990年、私はルビンシテインのピアノ作品全曲通演を実現すべく、ラヴィーナ、シラス共々、隔月に土日連続で7ステージ、合計約10時間という極端なシリーズ・コンサートを行った。一時体調を崩して中断したものの、1996年には Op.100(ソナタ第4番)まで歩を進めたのだった。これは前記の区分によると「秋」の終わりに相当している。 以来10年を経た。私にとってこのルビンシテインの「冬の時代」は容易に踏み込めない領域だった。まさに冬の海を思わせる厳しさと気高さに満ち、技法の精密な完成度と相まって、あらゆるピアノ音楽の極北に位置するものとして、畏敬の念を起こさせた(特にOp.104、109、114、118の4作品は「四天王」を彷彿とさせる)。自分の力量、状態ではまだ立ち入ることはできない、との思いを永く抱いてきたが、それらは結局、演奏とは何か、芸術とは何か、人生とは何か、といった究極的な問題に対する解答と実践的証明を迫るものだったといえる。その扉を今、ようやく開く時がきた、と言えばこれ以上の説明は不要であろう。私にとってスタジオ・ルンデはそれに至るための「道場」であったということができる。恐らく一千近い作品がこの場で演奏されたが、それでも私が取り組んだ作品の一割にも満たないであろう。私が知り得た、余りにも多くの名曲の数々を共有できる人がいないことは、やはり惜しい。 四半世紀の長さに亘り、不埒な「行者」に寛容な応援を下さったルンデの会の皆様各位に厚く御礼を申し上げたい。 |
平成十八年四月二十八日 金澤 攝 拝 |